ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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湊かなえ『告白』:私が選ぶ2008年度もっとも面白かった本

今年もたくさんの本を読んだ。だが、その中でもっとも面白かった本は?と聞かれれば、迷うことなくこの本だと言い切れる。湊かなえの『告白』(双葉社)だ。分野はミステリーである。

さて、この本はそのタイトルが示すとおり、登場人物が連続して告白をしていく…という形で構成されている。全部で6つの章からなりたっているのだが、そのひとつひとつが非常に優れた伏線を設定しつつ、そしてそれに解答を与えるという巧みな構成になっている。まったく、この本の構成については巧みという修飾語しか許されそうにない。

舞台は中学校だ。で、最初のシーンは…ああ、なんかネタバレしそうでなんかたまらない!『続きを読む』設定にしておこう!でも一応なるべく伏線はばらさないようにするので良かったら続きも読んでほしい。


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寒い日には歌おうよソビエト軍歌を

中延文学会の皆様、いかがお過ごしのことだろうか。
日曜日だってのに出張で、今、私は札幌におります。
札幌は日本との時差は0時間だ。日本だからな。

時差はないからいいんだが、寒い。
今夜の品川や川崎は寒いか?寒いだろうな。だが、札幌よりもマシなはずだ。
札幌は室内はぜんぜん寒くないけど外の寒さは尋常じゃない。同じ日本だからってナメていた…これは日本の11月じゃない。ミュンヘンの11月並に寒い。

寒い日にはロシア文化だ。先日亡くなったが、ソルジェニーツィンとか。ラフマニノフとか。ショスタコーヴィチとかもいいだろう。その辺は日本でも一般に知られているから改めて文学会の諸君に伝える必要はないかと思う。

だが、ソ連の軍歌となるとどうだろう?非常にすばらしいものが多いのに(私はドイツ軍歌よりもソビエト軍歌のほうが好きだ)一般にはあまり知られていない。でもうれしいことに、ソ連が崩壊したからか…あるいはロシア連邦の著作権管理がどうなっているのかは知らないが…ネットでいくつかのソビエト軍歌が落とせるようなのだ。

youtubeで赤軍合唱団も見つけたのだが、なんかイメージとぜんぜん違うな…
赤軍も開明化したもんだ。前衛路線はどうなったんだろう。

中延文学会の皆様も以下のようなソビエト軍歌に接されてみてはいかがと思う。
そして寒いところにいる人間のことをたまには思い出してやってください。

ソビエト軍歌ならここが詳しいからヒマでロシア語をやったことがある人はそこをあたるといいと思う。私はロシア語は読めないので英語版を見ているよ。。サーバーが弱いせいか時間がかかるけどそれがソ連崩壊後の現在のロシアの限界かもしれないので我慢してくれ。

まずはこれを聞いてほしい。
В путь
英語題でon the march、早い話が進軍歌だ。
勇ましく、力強く、そしてやる気の出るいい曲だな!
とくに寒いときには力強いこの曲のテーマがありがたい。
学生時代よく聞いてたよ。

youtubeで赤軍合唱団が歌っている動画も見つけたが音楽は上の音源のやつのほうがいいね。

ПЕСНЯ ЗАЩИТНИКОВ МОСКВЫ
英語題ではmarch of the defenders of moscow、となっているからモスクワ防衛軍のための歌なのだろう。たぶんソビエトの軍歌の中ではこれが一番有名か?サビの部分がいいテンポで耳に残りやすい。
アニメのミュージックビデオ風なものがyoutubeに上がっていたが、これはなかなかできがいいなあ。

Марш Советских танкистов
赤軍戦車兵の歌。1939年の曲。
この曲も結構単純な構造でできている。初めて覚えるソビエト軍歌としては最適だろう(べつに無理に憶えなきゃならないようなものじゃないけど…)
無骨な男っぽさが感じられて好きだ。

他にも赤軍に勝る者なしという曲とか好きだったんだがこれはネット上でyoutubeしか音源を発見できなかったのでリンクを張るのはやめておくよ。

…そして、ソビエトは崩壊し、もう二度と『ソビエト軍歌』が生産されることはないだろう。ソビエトが復活しない限り…いちおう1975年にはwe are army of the peopleという曲もあったりしたが、もはや20世紀終盤にはソビエトは人民の支持はやはり得られなかったことだろうから…。ブレジネフってどんな奴だったっけか。昔、本で読んだんだけどな…もはや記憶の彼方だ。

…寝よう…
日本に帰りたい。
あ、ここは日本か。

日本人は昼飯を食べるのが速いようだ


恥ずかしながら日本に帰ってきた。ドイツ修行を終えた。
ドイツから東京まで、結構な時間がかかった。
…やっぱり電子書籍デバイスがほしいな、こんなときには。
中延文学会の活動にもようやく本格的に参加できそうだよ。

有楽町近辺が結構変わっていることには驚かされた。
職場の同僚に挨拶をしに行き、そこで偉いさんにお昼をご馳走になった…
なんかランチなのに3150円とかするやつだったぞ(いじましい)。

で、私がドイツのことを質問されつつ、ご飯を食べていたのだが、ふと気づくと、私が最後まで食べているのだ。みんな、さっさと食べ終えて、私のことをじーっと見ていたのだった。

私はどぎまぎしつつ食べ終えた。いや、ちょっと時間が無くて食べ終えられなかった奴があったから食べ終えたわけじゃないか。日本人の昼食を食べる速度は国際的に見ても速いんじゃないか、とドイツにいて感じさせられることが多かったのだが、私はドイツの速度に慣れてしまっていたようだ。

結局私はドイツの日常用語とかは話さないまま日本に帰ってきたのだが、変なところでドイツのスタイルが染み付いてしまったようだった。

まあ、何はともあれ、私はめでたく日本でまた暮らせるようになったのだ。
みなさんよろしく。

今回の騒動を経験した読者はどのような行動を取るべきなのか

たぶん、雷句誠の訴訟を取り巻く今回の騒動を関心を持って眺めている人はいくつかのタイプに分けられるだろう。

④出版業界全体に強い不満がある
③小学館全体に強い不満がある
②サンデーの編集者全般に強い不満がある
①サンデーの編集者の一部に強い不満がある
◎出版業界全体について不審を抱きつつある

…というのが主なところだろうか。

そして、ネット上に出てきているいくつかの意見を分類すれば、以下のようになるだろう。

雷句誠は、陳述書にあるように、『少年サンデーのみならず、(株)小学館そのものと今後仕事をしない』と言い切っているのだから、③だろう。

新條まゆは、少女コミックだけではなく別の雑誌に移籍することも拒絶していることから察するに、小学館全般に不信を抱いているようだから③だろう。

松永豊和は 『一歩まちがえばオレは奴らをぶっ殺していた!刑務所送りにされてしまうほど精神的に追い詰められていたんだ!!!』というほどなのだから、③だろうか。

朝目新聞は『個人的には、酷い編集者がいるらしいのは確かとして、それが編集部のうち何割かによって話が変わってくるかと考えます。月光条例、金剛番長等良い作品も出てきていますし、これでサンデーという雑誌全体がダメと判断されるのは勿体ない話です。無論裁判で決着が着くべき件ですし、批判されている編集者には猛省が必要だろうと思いますが。』というのだから、①および◎だろう。

イン殺は雷句誠に理解を示した後に『現在のサンデー編集部にも見るべき人はいるわけで、だからこそ総論と各論は区別されなければならない』としているのだから、敢えていえば①なのだろうが、◎ですらないかもしれない。

さすがに現役の作家で出版業界全般に絶望した!という④の人は見当たらなかったが、ふつうの読者の中には、今回の事件を経て、出版業界全体に不信の念を抱くようになっている④の人も相当数いることだろう。

私に関して言うと、①と◎の両方に当てはまる。漫画家を圧迫し、混乱を招いた編集者がいることは多くの人がブログ等で証言するところだが、現在のサンデーの漫画が全部面白くないかと言われればそうでもないし、がんばっていて作家との信頼関係を築いている編集者もいることだろうと思っているから、②ではない。しかし、この事件の混乱を招いた編集者には強い不満があるから①にあたり、かつ、出版業界全体にこのような問題があるのではないか?と思っているから◎にも当てはまる。そして、この程度の考え方が人は結構多くいるのではないだろうか。

さて、④や③や②の人がどのようなことをするべきかは思いつかないが、①と◎の私が今後、何をするべきかについては考えることができる。①や◎の人は、騒動を通して、サンデーおよび出版業界において、漫画家を圧迫するような編集者が排斥され、かつ漫画家の創作環境が向上することを期待しているのではないだろうか(違ったらすみません)。

では、そのような目的を達成するために、①や◎の人がどのような行動をとるべきだろうか。

まず、②の人のように、小学館全体に強い不満があるわけではないのだから、小学館の出版物の不買運動によっては目的は達成されない。たとえば雷句誠の今度出るガッシュの最終巻を購入することは、それが小学館の売り上げに貢献することになるとしても、それは同時に雷句誠に印税収入をもたらすのであるし、①や◎の人の行動としては問題はないことになる。

また、①や◎の人は②の人とは違って、サンデーの編集者全般が嫌いなのではないから、サンデーの不買運動によっては目的は達成されない。サンデーの不買運動によって、一部の編集者の巻き添えとして善良な編集者や漫画家に混乱を与えることは合理的でないというべきだろう(そのような事態が生じてもやむをえないという見解もありうるが、私はそのようなことは望ましくないと思う)。若木民喜の『minna sunday wo misutenaidene』という文はまさにそのあたりを願ったものだろう。

((6月12日:追記)
雷句誠の以下のような発言があったから、サンデーの不買運動は、今回の事件の当事者、雷句誠の望むところではないことも明らかである。
『皆様から来るメールにて、「もう少年サンデーは買いません。」などのメールも多数(いや、かなりたくさん)来ています。しかし、それは困ります。…「少年サンデー」も、出来れば愛読していただきたいのです。藤田和日郎師匠を始め、自分の知る漫画家さんもたくさん描いています。自分のアシスタントをやってくれた子もがんばっています。(本当にみんながんばってるのよ。)どうか、この件で「少年サンデー」を見捨てる事はやめて下さい。平に・・・お願いします。』)


結局、①や◎の人が期待するような結末に不買運動によって導くことは難しいのではないだろうか(この問題は60年代の労働争議などと問題が似ている気がする)。

だが、読者には、何もすることができないわけではないだろう。別に難しいことをすることはない。ただ漫画出版というのが人気・不人気によって業績が左右される、という事実それ自体が行動の指針を示している。今回の騒動で圧倒的に読者の不満を招いた問題の編集者は、それ以上サンデーの編集職に就いていること自体がサンデーの人気を落とすのだから、サンデー編集部が合理的に考えれば、サンデーはその人気を維持するためにその編集者を編集職からはずすことになるだろう。つまり、不買運動をするまでもなく、読者群がただ自然な消費行動にしたがっているだけで、編集部は不人気を招く編集者を組織から自浄的に排斥するのではないか。そして、問題の編集者は、これほどの問題を起こしたのだから、近いうちに排斥されることになるだろう。

しかし、このような自然な経過に委ねるだけの措置では、このような事態が再び起こることを防ぐには不十分であるというべきだろう。情報が十分に公開されなければ、上に述べたように、作家に不当な待遇を与えていることが人気に反映されない。作家が不当な扱いを受けることを予防するなんらかの新しいシステムが必要とされているはずだ。

そこで私が考えたのが次のようなシステムなのだが…
要約するに、出版社の作家への関与が妥当でない場合には、その会社の出版物の人気が下がるようになるシステムだ。

行政機関や大企業が、その活動によって与える環境への影響であるとか、雇用している労働者の管理の適切性であるとかを公開し、外部からの評価を得るようなシステムを構築している。ドイツなどではポピュラーなシステムだ。評価するのは評価能力を有する機関であったり、市民であったりする。このシステムを出版社にも応用すればいい。

つまり、その出版社が適切に作家を扱っているか、その作家管理情報の内容を公開し、外部評価を受けさせるシステムが考えられる。漫画家への拘束の度合い、待遇、ひとつの作品に編集者が何人関わっているか、著作権侵害に対応できる体制をとっているか、などといった作家管理に関する情報を公開することになるだろう。そして、この作家管理情報公開評価システムにおいて、評価をするのは個々の読者だ。

作家管理情報を公開しなかったり、管理の内容が適切でなかったりすればその会社の出版物の人気が落ちるはずだ。およそ作家に不遇の扱いを与えている出版社の人気が高くなるはずはない。また、不適切な企業の情報はネット上であっという間に広がり、その出版社の人気を下げるようになるだろう。そして、仮に出版社が虚偽の管理情報を公開すれば、出版社と契約関係にある作家は、公開情報が事実に反するとして訴訟を提起するなり何なりのアクションを取ることができる。

以上のようなシステムが採用され、多数の出版社が情報を公開するようになれば、管理情報を公開しないことそのものが不人気を招くことになるので、出版社の側は情報公開および作家の待遇改善に強く動機づけられることになる。そうすれば、読者の自然な消費行動が作家の待遇改善に結びつくようになることだろう。

追記:
今回の事件に関して、現在、明らかに足りないと思われるのは、情報公開だ。情報公開をしないから一方当事者の主張のみから憶測が一人歩きするのであり、それは情報公開を今のところ行っていない小学館にとって好ましい状況ではないだろう。少なくとも、無根拠な憶測が飛び交う状況は情報公開を行うことで改善されるはずで、それは小学館にとって利益となるはずだ。

(6月12日追記:
 小学館のHPに、今回の事件への反応が掲載されていた。訴訟の一方当事者の意見だけでなく、相手方がどのように対応していくつもりか、ということの情報が与えられることで、事件の報道に触れる人色々と考えることができるのだから、少しではあるが小学館の今回の事件についてのスタンスが明らかにされたことは非常に意義のあることだと思う。法廷での弁論についても注目していきたいところだ。)

雷句誠問題が示唆する今後の漫画家・出版社の関係について

雷句誠の訴訟は漫画家・出版社との関係に大きな影響を与えることは間違いないだろう。

彼のブログ上での小学館で受けた扱いに対する発言等から、彼の訴訟の主目的は賠償金を取ることではなく、漫画家の待遇改善への問題提起であるらしいことが読み取れる。

つまり、漫画家の待遇改善を出版社に対して求める…いってみれば、福祉のレベルを上げるために行われる行政訴訟にも似た構造になっているようだ。

この訴訟を受けた出版社側のアクションとして、漫画家への待遇を向上させようとする試みが取られることはおそらく確実だ。もっとも、あるべき改善の具体的な内容については訴訟の文書からは明らかになるものではない。

しかし、何らかの改善がなければこのような訴訟は今後も頻発することだろう。

では、どのような改善策がありうるのか。

以下、『シンプルなプラン』と『ドラスティックなプラン』の二つを考えてみた。

シンプルなプランについて

このプランはごく常識的な対応策を並べたものだ。
漫画家の原稿料を上げ(一枚10000円からというのはあまりにも安い)、あるいはアシスタント等の雇用について補助を出す、などといったことが考えられる。

もっとも、サンデーは漫画の連載開始時にアシスタント雇用のための費用を支給し(ているらしい)、また、ジャンプと違って長期的なスパンで作品の連載期間を設定している(直截的にいえばすぐに漫画家の首を切らない)ため、原稿料という短期的なコストは低くても、長期的なコストをかけている。これを変更して、短期的なコスト(この場合は原稿料)を重視することにすれば、とりあえずコスト配分は現状から変更できることになる(要するにジャンプ方式に転換されることになる)。

ドラスティックなプランについて

このプランは漫画家の福利厚生を特に重視するものだ。形態としては、欧米的雇用形態といえるかもしれない。

漫画家を出版社の社員として雇用するのだ。アシスタント人員としては、同様に出版社で雇用されたスタッフが参加する。漫画家は漫画を注文される立場ではなく、一人の(あるいは複数の)漫画家をリーダーとし、部下を有する組織、つまり出版社の社内の一部署として漫画を生産する組織の一部となる。既存のものとたとえれば、メーカーの商品企画部と開発部をあわせたものが編集部となる。商品企画部の社員が出版社の編集部員、開発部のエンジニアが漫画家にあたることになる。

この場合、漫画家に支払われる印税というものは、たとえばメーカーが社内発明を行った技術者に対して与える奨励金のようなものとして処理されることになる。原稿料は単なる月給になる。あるいは、著作権は法人著作として処理されるようになる可能性が高い(法人著作として処理されるようになった場合、既存の著作者人格権に対する事務処理方式が妥当しなくなると思われる点に注意を要する)。

漫画家の雇用開始は漫画賞への投稿あるいは持ち込みによってではなく、専門職試験ないしはコンペティションで任用を決定されることになる。

また、漫画家の部下として雇用されているアシスタントは経験をつみ、あるいは才能が認められればひとつの連載企画を担当するリーダーとなるだろう。たとえば『かってに改造』プロジェクトのスタッフの一員としてクメタ課長の下で働いていたハタ係長が新しく始まるプロジェクト『疾風のごとく!』のプロジェクト長に任用される、といったように。

漫画家は会社の事務所やスタジオで仕事をすることになる。一般に漫画家は残業の多い仕事だろうが、そのコストは残業代というかたちで賄われることになる。

漫画家の業績が悪ければプロジェクトは終わらされ(つまり連載は終わらされ)、次のプロジェクトへの企画を立てるか、あるいは他の部署、営業部や広告部などへの異動が要請されることになるだろう。そこでも漫画家の才能は生かしうるだろうし、それに不満があれば同業他社へのリクルート活動を行うことになる。その際旧来のプロジェクトでのスタッフを新しい社に連れて行くかは新しい社との雇用契約による。

漫画出版社に特有の編集部と漫画家の軋轢は、ごく普通の会社における商品企画部と開発部の軋轢のようなものに変わる。少なくとも、両者は対等の立場に立つことになる。

…このような雇用形態は欧米における社内弁護士や会計士などといった専門職の扱いに近いものがある。あるいは優秀なエンジニアなど。

このプランのメリットは、漫画家およびアシスタント達を社内に抱え込むことで漫画家の雇用が安定し、漫画家たちの将来への不安が軽減されることであり、デメリットは漫画家の雇用が停滞し、漫画家がサラリーマン化することである。浮き沈みの激しい漫画業界で、漫画家が今まで背負ってきた打ち切りリスクを出版社が抱えるか、あるいは不人気な連載がだらだら続けられるようになる可能性もある。

しかし、このメリット・デメリットは、雇用形態のシステムを改善することのみによって(つまり新たなコストを負担することを拒否しつつ)今回の問題を解決しようとすれば、どちらかのデメリットが現れることは避けられないものである。

追記:
仮に上記の『ドラスティックなプラン』が採用されたとすれば、漫画制作は一種の工場での作業に近いものになることだろう。プロジェクトのトップは別論、アシスタント人材資源は社内で停滞し、プロジェクト間では流動化すると考えられる。

例えていえば、『月光条例』プロジェクトに参加していたアシスタントは社命に応じて『ハヤテのごとく!』プロジェクトに異動することがありうるが、『かってに改蔵』プロジェクトに参加していたアシスタントが社を飛び越えて『さよなら絶望先生』プロジェクトに参加するようになることは今までより難しくなるだろう。

だが、それが良いことなのか悪いことなのか、判断材料がないのでなんともいえない。徒弟制に近いような旧来の方式が良いのか、アシスタントはどのような絵の漫画家の下でも作業できるべきなのか、という問題に関わる。
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