ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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またe-co君が入院しやがった

まただ。

e-co君がまた入院しやがった。
一度肺に穴が開くと何度も開いたりするらしいよ。
気胸は再発性の病気らしい。
吐く息が血の味がしたのでわかったって。すごいな。

これをご覧の皆様も健康にはご注意下されたく存じ上げ候。

お見舞いに行ったが彼女は普通だった。元気そうではなかったが死にそうでも無かった。
健康美という概念があるが、たぶん彼女が不健康美という概念を発見する日も近いであろう。

彼女の無い胸の上の方…鎖骨の辺り…に手をおいて呼吸をすると、その部分だけ不自然に動いていて、そこの下、肺と皮下組織の間には空気が漏れているのだという。うわあああ。こわい。

開胸手術をすることは無いだろうということだが、もしも胸を開くことになると、肋骨をどうにかしなくちゃならないんだという…こわいよお!

彼女がなんで気胸になったのかつらつら考えていたのだが、原因は彼女の住環境にある気がする。彼女はいかにも昭和文学をかじっている奴らしく部屋にものすごい数の古本をため込んでおり、その本から出る紙の粉がかなりの量である。彼女の部屋に行くと咳が出る…絶対に肺に悪い環境だと思う。

あと彼女は猫背だ。それには彼女の背が高いことも影響している。
この点は一般の女性は心配しなくてもいいところかな。
なにせ彼女は身長が172センチあるのだ。モデル体型うらやますい。
しかし、猫背は肺に悪いらしいよ。

みんなも健康には気をつけようね!
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予測:『ボーイッシュな女の子』ブームが近々来るだろう


なんだか知らないが最近『男の娘』ってやつがはやってるみたいじゃないか。
世間一般にBLが普及したのか、これは賀すべきことだな……・って、別にそういうことではないようだね。男が男の女装にモエるのか……旧時代の腐女子としては違和感無きにしもあらずだが……我らが信奉する綾崎ハヤテ君もいちおう『男の娘』概念中にあるのか……

さて、『男の娘』がブームらしいが、次に来るのは何だろう? ということを考えた時、どうしても次世代の回答としては「ボーイッシュな女の子!」との答えを出さねばなるまい。

あらゆる兆候がそれを指し示しているのだ。

トランスセクシュアル的な何かを求め始めた人々は、いつしか「男なのに可愛い」を消費しつくした後、それには飽き足らず、「女なのにかっこいい」、を求め始めるだろう。

また、『男の娘』に代表されるストーリーのように、男性的な性役割を担う男性キャラを失った物語は、論理必然的に、物語構造として男性的性役割を欠いた不安定な状況に陥る。そうなれば、その穴を埋めるのは男性的な性役割を担うことができる女性キャラしかありえない(男性的な性役割を完全に担うことができる男キャラの登場を私は願っていたりするのだが、近年の漫画やアニメ等を見るに、超男性的な男性キャラクターは商業的には支持されないようだから……)。

あるいは「女なのにかっこいい」以外のアプローチとして、いつもは男勝りで男の子たちをけちょんけちょんにしていたような女の子なのに、ふと彼女が女の子の側面を見せた時、読者がそこに強度のフェミニンさを感じることがあるかもしれないね。ギャップ萌えの一態様だな。

ただ、ボーイッシュな女の子というのは昔から少女漫画では腐るほど出てきたキャラでもあるし、また世間一般に実在する存在なわけで、男の娘ほどアブノーマルな感じがしない以上、漫画の読者に対するインパクトがやや小さいかもしれないな。

さて。
私の考える理想的ボーイッシュガールの具体例としては:
『よつばと!』のみうらちゃんだろうか。
彼女は男の子か女の子かわからないような外見のキャラだったが、そんな彼女がスカートをはいて出てきていた4巻第1話は「ボーイッシュな女の子」の魅力が世間一般に通用する事実の片鱗を顕著に含有していたね。いつもはスカートなんざはかねえよ的キャラだったが故に、スカートをはいてるとそのスカートが普通の女の子のスカート以上に注目を浴びることになる、と。うーんステキ。

『ハヤテのごとく!』で言っても、いつもはスカートの下にスパッツをはいてるヒナギクさんが、完璧イブニングなドレスを着用してハヤテと食事をしている…というシーンからは、いつものヒナギクさんとは違うフェミニンさが薫るものがあってセクシーだったぜ。イメージとしてはオードリー・ヘプバーンかな。

初音ミクと「機械的失業」、あるいは声質の権利

仕事で本を読んでいて、面白い言葉を知った。

半田正夫・松田政行『著作権法コンメンタール2』(勁草書房、2009年)847頁。
『…実演家の商業用レコードの二次使用請求権(著作権法95条1項)は、ローマ条約の12条に照応して規定されたが、実演家の「機械的失業」「技術的失業」の救済という職業的実演家という労働者保護の発想から規定された。…』

直接この条文の意義について云々したいわけではない。
この文章中の「機械的失業」という言葉を見て思ったのだ。
初音ミクの声優はどんな報酬を受けているんだ? これを一般化して言えば「声のサンプリングデータの提供者はどのような報酬を受けるべきなのか」という問題になるだろうか。

今はまだあまり洗練されたものではないようだが、音声合成技術はこれからも進歩を続けるだろう。声のサンプリングデータを収録し終えれば、もう声優の仕事は終わり、という時代が来るかもしれない。声優の価値とは、実際に台本を読むことにではなく、個性的な声質(正確にどんな言葉で表現するのかは知らないので仮に『声質』と表現しておこう)を持っていることにある、とされるようになるかもしれない。

そのような技術が確立された時のことを考えてみよう。
声優を雇い、声質のデータを収録し、その際に声優に報酬を支払ったとする。

その収録された声質データについて、そのデータの持ち主は、以後永久的に、そのデータを映画の吹き替えなどに使ってもいいものなのだろうか? 
声質データの持ち主は、それを他人に譲り渡してもよいのだろうか? 
いったん報酬を受けて声質データを収録されれば、声優はそのデータを利用され続けたとしても十分な報酬を受けたといえるのだろうか? 

色々な考え方があるかとは思うが、音声合成技術の進歩によって、声優が「機械的失業」をするはめになる、という事態が将来起こりうるかもしれない。その際、声優はその『声質データ』について、何らかの権利(「声質の権利」と仮に呼ぼう)を有している、として保護するべきことになるかもしれない。

既存の法律でそのような保護を達成することは可能なのだろうか?
著作権法上の保護か?
(声質『データ』は実演とはちょっと違うものの様な気がするが…)
パブリシティ権のような一種の人格権か?
不正競争防止法のような法律によって処理すべきか?
やはり労働法の分野の問題なのか?

似たような問題を考えている人もきっといるのだろうが、私は今のところこの問題の解答を知らないのだ。

生きているからコミケに行ったのだ

e-co君がブログの管理をしていない。少し前に遺書がどうたらみたいな記事を書いていたことから生存すら危ぶまれている可能性があるかも知れず、注意的に記述しておくと、e-co君は生きてますよ。

ただ、なんだか異常をきたしていたことに間違いはない。退院の後、大学の期末試験のために根をつめて勉強をしていたため(なにせ彼女は入院して授業に出ていなかったため大変だったらしいが)夏休みに入ってもぐったりしていた、というか、生きる気力を失いつつあったようだ。

ただ、いろいろと変だった。
①無意味に徹夜する。そし睡眠不足を味わう。
②無意味に人の少ない深夜の道路を自転車で走る。
③無意味に絶食する。二日ぐらい何も食べないこともあったようだ。拒食症とかそういうものではなく、ものを食べるのがめんどくさくなって食べなくなったらしい。また、料理をしても味のある食事をとらなくなっていた(白菜やジャガイモを味もつけずに煮たスープなど(本人は「薄味ですよ」と言っていたが)を食べていた)。

特に③は命にかかわるもののような気がしたから、医者に連れて行ったのだが、内科的には別に異常はないらしい。私は医者ではないが、彼女を見ていて思ったのが、どうも彼女は生きる意欲を失っているように思われた。生きる意欲を使い果たしてしまった、というべきか。

だとすれば、彼女が生きる意欲を抱くように仕向けなければならない。彼女を食事に連れて行ったがあまり食欲はないようだった。ただ、イカの刺身は食べていた。

精神面での生きる意欲はどうか。彼女を映画に連れて行った。
『サマーウォーズ』。彼女は神木龍之介の演技が良くないとか文句を言っていたが、カズマってかわいいよね、みたいな話になると、急に生き生きと話を始めた。あと映画を観終わった後にアニメイトに行ってBL本を読み漁っている時も実にイキイキとしていたことだぜ。

私はうすうす以前から思っていたのだが、フロイトの言うリビドーの考え方…死への衝動としてのタナトスと、性的衝動としてのリビドー、というとらえ方でのリビドー…からすれば間違っているのだろうが、リビドーは時にタナトスを打ち崩すものである、というリビドーの性質がもっと強調されてもよいのではないだろうか。

e-co君の生きる意欲がBLに支えられているということを考えるとなんだか人生についての空しいものが無きにしも非ずだが…。でも、人間、どうせ大なり小なりそんなもんなんだぜ、どうせ。

アニメイトの後には元気にきつねそばを食べていたe-co君を見て、やっぱり行っておこうか…と思った。コミケに。あくまでも彼女の生きる意欲のためにね。

e-co君の家は国際展示場から30分というきわめてナイスなところにある。さすがにコミケの会場前から始発で並ばせる、とかはハードすぎるので、12時過ぎにゆるゆると行くことにした。

一日目:彼女が最も楽しみにしていた日だろうか。たいていの腐った女共は…私も含めて…この日を一番楽しみにしていたことだろうがな。彼女は高久尚子の本を買ったしていた模様。私もいろいろ買う。

二日目:この日は地獄だった。12時過ぎに行ったのにまだ会場に入るのに並びやがる。東に向かうのもすごい行列であった。なんでこんなに並んでいたのか、二人で苦しみつつ考えていたが、東方によるものだったと後で聞いたよ。東方ってそんなに人気があるのか…二人ともやらないから良くわからなかったんだぜ?あまり買うものがなかったというのもつらいところであった。

あと、この日の我々をじわじわと苦しめたのが東方のコスプレをされている男性陣であった…彼らの姿ははっきりいって見るのが苦痛であったことが多々あった。e-co君の弁:「女装少年ものに夢を持てなくなりそうです」。うむ。

三日目:この日はかなり楽しかった。ずいぶん空いていたし、サブカル方面で興味があった作家本人を幾人か初めて生で見たりして、楽しかったよ。唐沢なをきと唐沢俊一はどっちもやっぱり良く似ていたな。兄弟なんだから当然だけど。掘骨砕三はああいう人がああいうのを書いてるのか…と思った。

そして島本和彦先生である!e-co君は苦しいことがあると逆境ナインを思い出して頑張ろうとする、という性質を持っているため、生の島本和彦先生を初めて見ることができて大喜びのようだった。といっても、彼女はシャイなので10メートルぐらい離れた所から凝視していた。e-co君の弁:「島本先生はうつむいて何かを書いてらっしゃいました」とのこと。本も一応三冊ぐらい買ったらしいよ。見せてもらったアオイホノオのネーム本とか面白かったぜ。

あと、武富健治先生であるよ。武富健治先生はけっこう男前であった。武富先生もまた遠目に凝視しておくにとどめておいた。本を持っている人に聞くと、なんか以前は文芸的なものを書いていたそうで、いくつか同人誌も見せてもらったのだが、疲れた精神に文芸的な漫画がいい感じに働きかけてくれてさわやかな読後感であった。今後コミケに行く方は是非武富先生もチェックしておかれることをお勧めするよ。


3日間はあっという間に過ぎた。コミケ会場への滞在時間もあまり長いほうではなかったし、体のことも心配して「コミケなんか行っても大丈夫かな?」と思わないでもなかったが、気をもみすぎだったかな。コミケ初心者のための指南、みたいなかんじのHPをみると「水は1リットルのペットボトルを2本」とか書いてあったが普通はそんなにいらないと思う…500ミリのものを1本で十分でしょうね。よほどの汗っかきを別とすれば。

そして、今日も彼女と会ったのだが、元気そうであった。食事に行ったらチンジャオロースを注文することができるまでに回復していたのである。よかったねえ。チンジャオロースはうまいからな。PS3を買いたい、なんてことも言っていた。

しかしなんなんだろうな、この文体は。見返してみたらなんか変だぞ。
まあいいか。
ともあれ、皆様も体と心の健康には重々ご注意のほどを…。

年の離れた人と話せるオタク話っていいよね


会社での話し。

「君は映画好きらしいね、最近どんなの見た?」と一回りは優に上の先輩に聞かれて、スラムドッグがどうの、グラン・トリノがどうのといった話をした後、「実は最近見たので一番面白かったのといわれると、ヱヴァンゲリヲンなんですよ…」と言った。

私は隠れオタ、というかわざわざあけっぴろげにする必要も無いかと思っていたので周りの人にはオタ話をしなかったのだが、会社でそんなことを言ったのは初めてだった。話が分かりそうな人がいないように思っていたこともある。

私も「ああ、なんかやってるよね」ぐらいの返答を予想していたのだが、「ああ、アスカがよかったよね。俺はアスカ派なんだ」という予想外の答えが返ってきて驚いた。

驚いた理由:
①年が離れた人でもエヴァを見ている人がいるということにあまり思い及んでいなかった。
②その人がエヴァとか見そうに無かった。
③アスカ派に初めて会った。

その人は「いやあ、ここ(会社)にはアスカ見たいな女の子って多いじゃないか?ほら、優秀であることがアイデンティティになってて、でも勉強ができるからって仕事ができるとは限らなくって、仕事のプレッシャーに耐え切れずにいつしか折れちゃう…みたいな。君もそんなアスカみたいにならないように注意しなよ」と話を締めくくったのだけれど、私はわりと上の空でその箴言を拝聴していた。

そうか…よく考えたら、エヴァンゲリオンってもう10数年もオタにおける最重要作品の一つであり続けてるんだな…今までそのことを考えてなかったけど、いまさら良くわかったよ。年の離れた人との共通の話題の一つを見つけたわけだ。かなり限られた人と、の限定の話題だけど。

年代的に、その先輩はエヴァ初放送時に大学生ぐらいだったはず。もっとも熱心にエヴァを見た世代だろう。一回り以上の世代の差を越えて一つの作品でオタ話ができるってすばらしいよね。あとアスカに関する箴言もありがたみがあったような気がしないでもないよ。

そして。

たぶん、これからどんどんオタクの数は増えていくはずだ。
だとすれば、いつしか世代を超えた共通の話題となりうるオタ作品が登場しうるはず。

あるいは、既にドラゴンクエストなんかはその域に既に達しているのかもしれない。

ちなみに、今のところ私が最も年の離れた人とできたオタ話は『めぞん一刻』。
25歳以上離れた人と熱い話が通じました。
高橋留美子は偉大だ!

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