ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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畑先生はもっと自信を持たれてもよろしいかと存じます

畑先生の精神面も含めた健康が心配ですよ。なんかBSの文章を拝読する限りでは、あまりお元気ではなさそうですね。しかし、そもそも、完全に元気な人なんていやしないのかもしれません。人間、外面からは元気に見えたとしても、その実、不元気だったりするかもしれません。いや、実際には不元気であるということの方が圧倒的に多数でしょう。そんなイメージと現実の乖離。例えば、高級ブランドの服を着ている丸の内のOLも、その住んでいる部屋は意外とぼろかったりするように。私だってそうですよ。人間、顔で笑って背中で泣いて、なんですかね。私は大抵、外面や愛想がいい方なのかニコニコしてるねとよく言われますが、机の下にもぐりこんでは「イヤだ…もうイヤだ…ダメだダメだダメだダメだダメだ」とかつぶやく毎日。なんででしょうか、別に落ち込むようなことなんて起きてないはずなのに。しかし、感じる、ぼんやりとした不安。どうやらシンジ君以上の病み方ですよ私は。…しかも嫌なかんじの病み方ですな。それになんでか共通語で自罰の言葉をしゃべっているという。関西人なのに。私の肥大化した自罰意識は東京出身のようですな、フロイト的に分析すると。

でも、それでも、私も全体的に見れば、元気に生きてますよ。畑先生も元気を出してください。何かの機会に元気がでるかもしれません。『あずまんが大王』でも、よみがこけそーになったのを見た時、一瞬でともちゃんは元気になっていたではありませんか。それに、心底嫌になったときは「絶望した!」とでも叫べばいいんじゃないですかね。

加えて言えば、人間、現実がつらいから創作の世界に没頭するのかもしれません。いや、『没頭するのかもしれません』ではなくて『没頭するのです』でしょうね。私も没頭しまくりですよ。病的なほどに。いつか私がイデア界に君臨することのできる日が来るかもしれません。

以下、ちょっと腐った嗜好に関連する意見を表明させていただきますが…

病的といえば、健全な肉体に健全な精神は宿る、といいます。思うに、たとえばいわゆるBLとかは不健全の極みなんであって、そんなものを脳みそからひねり出す人やそれらを偏愛する人は精神と肉体はさぞかし不健全なんでしょうなあ。実際、私は非常に不健全な人間なのですよ。そして、私はそんな不健全な精神と肉体の産物が大好物でして。全く、人生が楽しくて仕方がないところです。健全な奴らなんてとっとと長生きでもしてればいいんですよ。

それはそうと。今回の話の虎鉄…私の中の不健全センサーが著しく良い反応を示しましたよ。話の全体も、かわいらしい感じがして、好きでした。この批評が的外れであるとか、そういったことがしてきされるかもしれませんが、少なくとも、私がそう感じたことは事実です。そして、私がそう感じたのは、畑先生が脳からひねくりだした不健全な(…と思しき…)精神の産物として描いた漫画を読んだからなのですよ。その点、畑先生はもっと自信を持たれてもよろしいかと存じますよ。僭越ながら。少なくとも、そう悲観的になるべきではないと思います。

それに、国会議事堂のあたりまで散歩したと考えれば、それはそれで大変構なことじゃないですか。私も今度、永田町一周ウォークでもしてみようと思いますよ。

追伸:
今回のBSは『永田町に巻き起こる嵐…その台風の目は一体誰なのか、ハヤテのごとく!永田町風雲編!』、みたいな展開への布石ってわけではないですよね…それはそれで見たいのですが。
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テーマ:ハヤテのごとく! - ジャンル:アニメ・コミック

ハヤテのごとく!30話は面白かったと思うのに…

ハヤテのごとく!30話は私にとって今までに無いヒットだったんだけど…なんか、ネット界隈ではあんまり評判が良くないみたいだね。

なんでだ!TRICKのパロディとか火曜サスペンスパロディとか、あと全体になんとなく漂っている楽しさとか。全てのことが面白さを指し示していたというのに!

やあ、なんででしょうか。『なぜネット上の意見と私の意見は大きく乖離してしまったのでしょうか』。これはマジメな検討に値する問題のようだ。

仮説①私の感覚は多くの人々とずれている。
 うむ。最初から説得的な仮説が飛び出してしまったが…確かに、私はBLだとかアブノーマルな趣味が好きだけど、さすがに子供向けの時間帯に流されるアニメについて世間からはみ出たような視点で視聴しているとは思えないぞ…先ほど、関西に住んでいる友人も「今週のはめっちゃおもしろかったやん!」と確かめ合ったのでたぶん、感想には幾分か客観性は担保されていると思うんだけどなあ…

仮説②ハヤテのごとく!の真摯なファンが多いネット上の意見発信者達は、原作みたいな展開がアニメにおいても展開されることを望んでいる。
 これまたありそうな気がする。コアなユーザーとライトなユーザーの意見は往々にして行き違いがちなものだが、今回のアニメに対する感想の違いもやはりその一種なのだろうか。するってぇと…私はライトなユーザーなのか?なんかそれも違うような気がするけれども。

仮説③ミステリに対する姿勢の違い
 確かに今週の話の難点を挙げるとすれば、ストーリーはもうワケが分からなくなっていたよね…特にミステリ部分。犯人は結局誰だったのかー、という。そこがダメだったのかな?私にとっては大いにありだったんだけど。ハヤテのごとく!見たいなアニメでその辺のリアリティやストーリーとしての整合性とかを求めるべきなのだろうか、というね。いうなれば『ぱにぽにだっしゅ!』みたいなものですよ。ぱにぽにだっしゅ!の桃月ウィルスの話しの回は、冷静に考えてみるとまったく問題が解決しないまま終わってしまった回だったように憶えている…ああいうのと同種の話しだと思ったんだけどなあ。でも、話しはきっちりしていないとイライラする!という人も当然いるだろうし、そういう人は今週の話しは好きになれなかったのかもしれないね。

…結局、決定的な意見の相違の理由については、未だに分からないとしかいいようがなさそうだ…

でも、ハヤテのごとく!のアニメDVDは結構売れてるらしいし、アニメ業界全体が盛り上がっているという現状については、これで、まあ、いいか。

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愛と勇気だけが友達なのさ、どうせ孤独な僕なんだ

今週からハヤテのごとく!は二年生編ですね。劇中の季節は春。しかし、ハヤテのごとく!の話が新学期に入る前に、現実の日本はすっかり朝が肌寒い季節になりましたね。秋。スポーツの秋。私は全国大会目指して一日3時間のカバディを欠かさない日々です。嘘です。こないだ川崎にアニメイトがオープンしたので行ってみたら人が居すぎてレジの列に並ぶ気も起きず、だんだん気分が滅入ってきて店に入って2分で店を出ました。そんな根性無しの私にカバディのような過酷なスポーツ、耐え切れるわけがあろうはずがないのですよ。ところで、wikipediaを調べてみたところ、慶應の幼稚舎にはカバディ部があるそうですよ。小学生からカバディのテクニックを刻み込まれた少年少女がどんな人生を歩むようになるのか…追跡調査をしてみたいところですね。

さて、今週からナギやハヤテも高校二年生ですね。やっぱり高校生活編は読んでいて楽しいですよ。個人的にはハヤテたちの日常生活っ奴のほんわかしたユカイな日々を読むのが好きなので。その意識の根底には、誰にも普遍的な高校生だったときの思い出があるのかもしれません。私もかつて高校二年生だったことがあったような気がします。もう、記憶もおぼろですよ…もうあれから2年になるのかあ、早いなあ時間の流れっていうのは…確かあの頃の流行といえばぱにぽにだっしゅ!だったかなあ…。もっとマシなもので覚えていたいものですな。たまごっちが流行っていたのは10年以上前だったか。父が満州に出征したのは私が小学生のときでしたっけ…勝って来るぞと勇ましく勇んで国を出たからは。手柄頼むと妻や子が千切れるほどに振った旗遠い雲間にまた浮かぶ。頼むマッチも尽き果てぬ。あれ、天保の大飢饉があったのは私が何歳のときでしたっけねえ…?たしか私が幼稚園のとき、豊臣秀吉による刀狩があったから…アルバムを覗けば私が赤ちゃんのときイグアノドンと並んで写った写真があるはずなのですが…どうも私は昔のことを思い出すのが苦手なようですね。

それはともかく。高校二年生のとき、あの頃は楽しかったような気がしますが、当時の日記などを見てみると必ずしも楽しいことばかりではなかったようですね、受験勉強とか。でも私は幸運にも友人に恵まれて幸せな高校時代を送った気がします。かつて高校二年生だった人々はハヤテのごとく!みたいなコメディックな漫画を読んでかつての自らの楽しかった記憶に重ねあわせ、そして辛かった記憶を忘れるものなのでしょうか。これから高校二年生になる人々は輝かしい未来をハヤテのごとく!の中に見出すのでしょうね。それにしても、改めて考えたら『かってに改蔵』も『さよなら絶望先生』もその他色々もみーんな高校二年生ですね…

高校時代にハブられていた人は今週のハヤテのごとく!を読んで班決めの恐怖を思い出すのでしょうか…。4人組作ってー、みたいなやつ。私も『たぶん大丈夫だろう』とは思いつつ、もしかしたら…!という疎外への恐怖が今も心に残っていますよ。そんな秘められたトラウマをこじり出すとは罪な漫画ですねハヤテのごとく!は。しかしハヤテもナギも坊ちゃんもなんか全体的に世間的にはダメな感じの匂いがしますね。坊ちゃんは特に執事がいなかったらただのヘタレなんじゃないかという印象を受けます。坊ちゃんに友達っていないんでしょうか。『ともだち』じゃダメなんでしょうか。メカ執事かなんかは友達代わりにはならないんでしょうか。22世紀から来たロボ的な。坊ちゃんは愛と勇気だけが友達なんでしょうか。坊ちゃんが『どうせ僕なんて…』とかひがまないことを願いますよ。でもでっかい人造人間とかに乗り込んだら許す。あ、それは中学二年生か…

『私は高校二年生だった。それがひとの一生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせない』。

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ここは一つ『出版社主観説』を提唱したい

非常に面白い記事があった。『ライトノベルの定義を法律の学説っぽくまとめてみる』という試みだそうだ。一応日々書籍に関わっている身、ラノベについては門外漢としても、こういう試みが大好きな私は、これに倣って説得的な新たな学説を打ち立てたい。

さて、記事の引用元では主要な学説として読者主観説、作者主観説、形式的客観説、実質的客観説などが挙げられているが、私がこれら旧来の学説について不満を覚えるのは、これらの学説がいずれも出版社の存在について触れようとしていないところだ。客観説の立場において若干レーベルという形で出版社とのかかわりを見出すことができるかもしれないが、書籍に対して出版社が与える影響というのは、レーベルの枠組みでのみ考えるべき事象ではないだろう。より広範に出版社の影響力を見出している私は、ここに『出版社主観説』を提唱するのである。

さて。出版社主観説とは何か。この説が前提とすることから述べよう。

まず『なぜ書籍が出版されるのか』ということから考えてみたい。『作家がいて、読者がいるから』。基本的には、これで正しいだろう。同人誌とかならこれで完全に説明がつくはずだ。だが、現在の出版を取り巻く状況を観察すればわかるように、出版社は単なる印刷工場にとどまる存在ではない。本は作家から原稿を持ち込まれて出版されるだけでなく、出版社の側が書籍の販売を企画し、その後に作家に執筆を依頼することがほとんどだと言えるだろう(特に講談社はその傾向が強いらしい…実際のところは知らないけれど)。つまり、出版社の側が「こういうレーベルで、こういう装丁で、こういう価格帯で、こういう感じな本を作りませんか?」と作家に申込み、作家の側がそれを承諾することによって一つの企画がスタートラインに着くのである。スタートラインが決まれば、あとは基本的にそのラインにしたがって事態が進む(執筆してもらう)だけだ。

だとすれば、書籍の性格付けは最初の企画段階…レーベルや作家や挿絵画家や装丁や価格帯等の決定時において既に決められているものだといえる。ここで、書籍の『性格』とはその本の持つ要素に他ならない。例えば、ライトノベルならライトノベルの性格を持たされるのは、この性格決定がなされた段階だといえるだろう。

そんな書籍の性格付けについてフェイタルな決定を行う出版社にこそ注目してしかるべきではないか?というところのが出版社主観説のキモというワケだね。

以上のような前提を基にした出版社主観説は『出版社がライトノベルとして出版したものがライトノベルである』とする説、と一言で言えばこうなるだろう。形式としては作り手側の主観が考慮されるということで、作家主観説、またレーベルなどという形で出版社の意図が通常現れてくるものだから形式的客観説にも類似する。

だが、その結論は結局実質的客観説と同じようなものに落ち着くことと思われる。ライトノベルを作ろうとすればライトノベルレーベルで出版し、ライトノベルっぽい装丁にし、ライトノベルっぽい広告を打ち、ライトノベルっぽい営業をするのだから、結局形式的な基準に『他の基準(読者層やカバーイラストなど)』が事実上、反映されたものになることだろうと考えられるためだ。しかし、実質的客観説や総合判断説とは異なり、出版社の内部資料などを検証すれば、その書籍がライトノベルに当たるか否かがはっきりと分かる点がこの点の特に優れた点だろう。


なお、この学説は別に何がライトノベルか、ということだけではなくて、一般にこれは何というジャンル(性格)に分類される本であるか、ということを評価する際の基準となる学説であると言えるだろう。小説だけではなく、企画書が作られるものであれば漫画や映画、アニメなどにも応用が利く。例えば萌え漫画が作られるのは出版社側が『萌え漫画を作ろう!』という企画を立てて作家を選び、連載をスタートさせることによって作られるのだし、『熱血ロボットアニメを作ろう!』と思えばやっぱり熱血ロボットアニメの作成がスタートさせられることになる。

だから、ある本を指してそれが出版社の担当編集などに「これってライトノベルですか?企画書を見せてもらえませんか?」と聞けばはっきりした答えが得られるはずだ。もっとも、彼らが正直に答えてくれるとは限らないし、また、企画書もそう簡単に見せてもらえるものではないのだが。しかし、なお潜在的にはそのような形で検証される余地が残されている点を指摘するべきであり、かつそれが重要なものだといえるだろう。

この説の難点として、出来上がった作品が出版社の当初の意図とは違ったジャンルに収まってしまったケースの説明が困難な点がある。

例えば、当初はスポーツ漫画を作ろう!という意図のもとに連載がスタートされた『南国アイスホッケー部』がスポーツ漫画だというのは、やはり無理があるのではないだろうか。この辺、検討の余地がありそうだな…連載の場合はある程度継続した形で『出版社がその作品についてどのように関わろうとしていたか』ということを検証の内容とすることができればいいのだが。

とりあえず、こんなところか。学説の改善のため、皆様の意見をお待ちしています。
…やっぱりこの説には多少の無理がある気がする…新しい学説を作るのって難しいのだな。

アニメイト川崎店に行ってきた

アニメイトがオープンすると聞いた。川崎に。初めに知ったのは映画でのCM。エヴァンゲリオンの映画を見に行ったときに映画のCMとして流れていたのだ。

漫画専門店なんかありやしない品川在住の身としては、川崎のような比較的近い場所にコミックやアニメ商品を買いにいける場所があるというのはうれしいことだ。amazonの登場で現実社会での売買をする必要が薄れたとはいえ、私は漫画とかはやっぱり現実のお店で買いたいと思うタイプなのだ。理屈を越えた感情としてのものだけど。

で、特にオープン初日に私を向かわしめたのは、オープンの記念品としてアニメ店長特製レトルトカレーが配られるということを聞いたためだった。先着500名か…オープン直後に行けばさすがに500名の中には入るだろうと思い、9時40分ごろにその店に着く。HPで事前に調べていた開店時間によると、開店は10時だったから、十分それで間に合うはずだった…

だが。私はなめていたのだ。マニアの根性を…!かつてよつばと!展に並んだとき開場前直前に行って全然間に合わなかったことをすっかり忘れていたのだ…!学習能力の無い奴だ。

9時40分に行ったとき、既にアニメイトはとっくにオープンしていたらしい。なんだか店の前に結構な人がいるなあ、と思ったらその人々は既に買い物を終えたひとだった。開店前に並んでいた人ではなかったのだ!店はもの凄い混みようであった。私はそれでも淡い希望を抱いて「カレーはどこで配ってるんだろう…」とカレーを探していた。と、目に入った掲示が「粗品の配布は終了しました」と。…そんなもんなのか…!今後はもっと早く行くナリよ…

私は残念だったが粗品はあきらめてせめて漫画を買おうと思った。「ブロッケンブラッド」が大井町の本屋には置いていなかったので、買いたいと思っていたのだ…込み合った店内をまわり、探そうとした…しかし、なんかもう絶望的に混みあっている。それに、並んでいる人の列が凄いのだ。店内を這うように列が形成され、おそらく買うためには1時間ぐらい待たなくてはならないのではないかと思わせられるものがあった。

私はあきらめ、店を出た。9時40分に店内に入り、買い物をあきらめるまで10分もかからなかった。店を出たとき時計を見たが、9時50分だったのを憶えている。店を出たところでフィギュアとかを大安売りしていたようだ。持ちきれないほど買っていた人がいた。一個500円とかだったから、おそらくとても安い買い物だったのだろう。

私はそれを横目に川崎のブックオフに行った。時間をつぶして、また後で来るつもりだったのだ。そして、アニメイトに戻ってきたのが、午後1時。三時間も経てばオープン時の混乱は収まっているだろうと思ったのだ。だが、予想はこれまた外れた。

店の前に行くと、確かに混乱はしていなかった。だが、入り口がガードされている。見ると『入店制限中』。本屋の入店制限なんて、初めて見た。列に並べといわれたので見てみると、おそらく200人ぐらいは余裕でいそうな人の長い長い列が。店に入るまででこんなに並ぶとは…私の想像力って貧弱だったのだ。世の中には好事家が腐るほどいるのだ。私はその好事家の一人にもなれないような人間だったのだ。私には彼ら(かなり女性客も多かったが)のような根性はなかった。ただ、店外で大安売りされていた漫画を買った。あまりもんらしかった。100円で鋼の錬金術師13巻特装版みたいなものが買えた。再販制度はどうなっているんだろう?

私は敗北感にまみれて川崎を後にした。ちなみに、ブロッケンブラッドは川崎のブックオフに売っていた。105円で。すごいねブックオフって。

それにしても…あれだけの人たちが漫画を買ったりしようとしているんだから、日本の漫画産業の未来は明るいのかな?

民間委託刑務所と矯正教育

近頃、PFI方式の刑事施設、いわゆる民営刑務所が話題を集めているようだ。

今日の読売新聞夕刊にPFI方式の刑事施設として掲載されたのは、喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センター。東日本初の民営刑務所で、その特徴は受刑者のうち、体の不自由な高齢者を含む身体障害者、知的・精神障害者が500人を占めるということ。

13日から開所される施設であるので、まだ私にはあまりこの施設についての詳しい事情というのはわからないのだが、この施設の今後を占うために日本初の民間刑務所、美祢社会復帰促進センターについての報道と比べてみたい。

美祢社会復帰促進センターが当初話題を呼んだのは、初の民間刑事施設であることとともに、その施設が今までの刑事施設に比べてあまりにも設備が整っていたことが原因だろう。その居室が独房で、一人用のテレビがついていることなどが報道された。また、その食事が豪華だという報道もあった。2007年9月8日の朝日新聞報道によると、「美祢定食」と名づけて訪問者にも収容者向けの食事が提供されているとか。

これらを指して刑務所にしては贅沢だとか、刑罰としての意味がないだとか、多くの批判的な意見が寄せられていた。鳩山法務大臣も、次のように述べていたようだ。奇しくも前述の「美祢定食」を報道した記事と同日の2007年9月8日の記事。以下、引用する。

『山口県美祢市のセンターを5日に視察した法相は、環境の良さに「受刑者にも人権があるからいいが、行き過ぎるとね」と不満な様子。「実刑判決には懲らしめの意味がなければならない。悪いことをするとつらい思いをするという方が再犯防止に意味がある」と述べて、「刑務所」と呼ぶべきだと強調した。』

なるほど。
そういった意見もあるだろうとは思う。だが、私はこれらの民間委託刑事施設の今後に大いに期待したい。それは、これらの刑務所が、収容者への実効的な矯正教育を行うことが出来るだろうという期待からである。

これらの刑事施設においてあまり強調されていないが、大きなポイントとしてあるのが、美祢社会復帰促進センターに入れられるのは…いや、入ることが出来るのは、選りすぐりの模範囚であることだ。刑期も短く、初犯で、おそらくは知能も高いのだろう(刑事施設に収容されている受刑者の3割強がなんらかの知的障害を持っているといわれる。知的障害のために善悪の判断能力が不十分であり、かつ知的障害者に関する社会のネットがないために軽微な犯罪を犯して、また刑事施設に戻ってしまうケースが多いのだ。そのような場合、軽微な犯罪とはいえ再犯者なので、刑期が長くなってしまい、一般社会と隔絶した時間が長くなってしまうと、それにしたがって彼らの社会復帰も難しくなってしまうという問題がある)。これらの刑務所に関する報道を見聞きし他人が「自分もこんな刑務所になら入りたい!」と思って犯罪を犯したとしても、多くの人はたぶん入れてもらえないだろう…世知辛い。

まあそれはともかく、そのような社会復帰の可能性が高い受刑者には、刑罰の応報刑的な機能を強調するよりも、むしろ教育刑としての機能を生かし、社会復帰のための訓練を施すことが、より効果的であるはずだ。センターに収容された受刑者らの再犯可能性を逓減させるためにかかるコストと再び犯罪が起こってしまうコストのバランスという面から考えれば、この程度の施設も決して贅沢とはいえないだろう。…もっとも、これは『最もうまくいったケース』に与えられる評価だ。再犯率などが他の施設と変わらない結果だったとしたら、一連の事業は質を疑われることになるだろう。

また、社会復帰を支援するための教育プログラムも充実している。美祢社会復帰促進センターでも小学館プロダクションが教育のためのサービスを提供していたが、喜連川社会復帰促進センターでも小学館プロダクションが教育サービスを提供することになっている。喜連川社会復帰促進センターでは美祢での場合と違って、身体障害、知的・精神障害者の受刑者が四分の一ほどを占めることになるらしい。教育プログラムの内容もそれに対応したものとされることが必要だろう。

どうやら、もうじき半年になる美祢の施設は順調にそのプログラムを進めているようだ。このような施設を出た元受刑者が再び犯罪を犯すことが無いようにするため、矯正教育を施す側の責任は大きい。また、はっきり言って、矯正教育に対して有効といえるような確立された手法があるとも思えない。ただ、一連の事業に対する評価というのはそうすぐにできるものではないだろう。これらの施設における教育事業が評価されるには長いスパンで出所者の社会復帰の度合いなどについてのデータが集められることが必要となる。

今後の動向に注目したい。

(補)資料
■PFI刑務所の概要
 <(1)運営開始 (2)収容定員 (3)国・民間の職員数>
 ●喜連川社会復帰促進センター(栃木県さくら市)
(1)07年10月1日
(2)男2千人
(3)国約250人、民間約100人
 ●播磨社会復帰促進センター(兵庫県加古川市)
(1)07年10月1日
(2)男1千人
(3)国約150人、民間約80人
 ●島根あさひ社会復帰促進センター(島根県浜田市)
(1)08年10月1日
(2)男2千人
(3)国約145人、民間約160人
 ●美祢社会復帰促進センター(山口県美祢市)
(1)07年4月1日
(2)男女各500人
(3)国約120人、民間約180人
(2007年10月1日の朝日新聞朝刊から)

なお、触法障害者については山本譲司『累犯障害者』(新潮社)が詳しい。非常に興味深い本なので、ぜひ一読されたい。

ナギの理想のハヤテはバラと散るのか

ハヤテのごとく!も連載三周年ですか。三年前は私はマリアさんよりも年下だったはずなんですが…いつの間にやらマリアさんよりも二つも年上に。じきにサキさんに迫る勢いですよ。これで私も名実ともに立派なショタコンか…おめでたいですね。『おめでたい』とだけいうとなんか能天気な人をバカにしているみたいですね。おめでたいですね。

しかし、おめでとう!おめでとう!おめでとう!おめでとう!おめでとう!おめでとう!とおめでとう!すると、TV版のエヴァンゲリオン最終話みたいになってしまいますね…私はあの最終回の明るいバージョンの綾波レイが大好きでした。私もパンをくわえて転校初日に慌てたい。おさなじみを朝、起こしに行きたい。パンツのぞき魔として生きたい。

それはそうと。今週は巻頭カラーでしたね。さらに表紙。紅茶のおいしい淹れ方。巻頭カラーは独特の匂いがしますな。カラーインク・ジャンキーであるところの私としては、ハヤテのごとく!が巻頭カラーになるのはうれしい限りですよ。そして、カラーだけど黒い。これがゴスロリってやつなのか…私はまだ現物は見たことがありません。こないだ何の因果かドイツのゴスロリというのを見ましたが単なるホラー映画のワンシーンにしか思えませんでした。あるいはゾンビ映画のワンシーン。日本のものの方がゴスロリ衣装は可愛いですね。とくに咲夜のそれが可愛いと思いますよ。しかし咲夜の衣装はゴスロリなんですかね。昔、私のおばあちゃんが着ていた小さい花柄の入ったブラウスがこういうのでしたが…おばあちゃんゴスロリ。それもまた悪くはないですな。

今回はあとナギのイメージとしてのハヤテが出てきましたね。バラも散っていますよ。これは少女漫画のハヤテか?あるいは角川ルビー文庫のそれか…?ナギにはこう見えているということなんでしょうか。19ページに出てくるハヤテの方が18ページに出てくるハヤテよりもなんか細長くて頭頂部にはちょんちょこりんがない!手袋もはめていますな。ナギの理想のハヤテ像はこういうものなのか…たぶん、マリオよりもルイージの方がナギのタイプなんでしょうな。

せっかくなので私の個人的な理想のハヤテ像について申し上げておきますと、まず華奢で線が細いけれども芯は強くていざとなったら守ってくれて、頼んだら恥ずかしがりながらもネコミミカチューシャメイド服姿でお仕えさせていただきますお嬢様とか或いはご奉仕するにゃんとか言ってくれてしかもそれが当然のごとく似合っていて、怖いホラー映画を見るときは一緒に観てくれて、料理がうまくて時たまなにか作ってごちそうしてくれて掃除もしてくれて洗濯もしてくれて公共料金と家賃の振込みも代わりにやってくれて、BLにも一定の理解を示してくれる人だったらいいなあ。

加えて言えば陰の姿とかも備えていて欲しいですね…秘剣「悪酔いプーさんくだまいてポン」の使い手であるとか。一流のスナイパーとして世界の要人を震え上がらせているとか。鳥だ、飛行機だ、いや綾崎ハヤテだとか。手からくもの糸が出るというお釈迦様やサムライミもビックリの怪人だとか。あるいは変身できる魔法のコンパクトを持ってるとか。

で、正体がばれちゃうとお国に帰らなくちゃならない定めなのだ…
執事の国とかに。正体がばれることを承知の上で秘密の能力を使い、クラスのみんなの命を救ったハヤテは執事の国の王様であるハヤテパパに呼び戻されて、皆とお別れするんですよ。涙涙の最終回ですよ。うう。感動だなあ。

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恋愛の自由競争ってやつですか:大人な二人

BSによると畑先生は妄想で河口湖にいらっしゃったそうですな。私も韓国とかに行きたいです。妄想で。妄想でなら毎日行けますね。でもどうせ妄想なんだったらもっと遠いところに行きゃいいのに。飛行機なら日帰りでもいける韓国に行く妄想をするあたり私は妄想下手ですね。せっかくなので明日からは北朝鮮に行く妄想をしようと思うんイムニダ。イムニダの活用形が分からない。大阪弁の『~やで』と同じような語尾なんでしょうか。私は最近共通語どころか大阪弁すら怪しくなってきましたよ。言語能力の低下の著しい日々です。ここらで『元気やでっ』辺りでも読みかえして大阪弁を学びなおすのもいいかもしれませんね。

それはそうと、今回は春の花火でしたね。そして観覧車の中の西沢さんって大人でしたね。ヒナギクさんは高いところだと素が出るようですね。時計台のときも、観覧車のときも何だか素が出ていたようですが…大人な西沢さんか…

そういえば4月3日が終われば、もうすぐ西沢さんは二年生なのか…もちろんヒナギクさんも二年生なのですが…二人とも、後輩ができたりするし、もう子供じゃいられないんですね。私の高校二年生の時を振り返るとアホみたいなことばかりやっていたような記憶があるのですが…

一人の男の子をめぐって西沢さんとヒナギクさんの間で仁義なき戦いが始まってしまうのではないかと思っていた私は甘かったのですな。もしくは昔の少女漫画の読みすぎか…昔の少女漫画だと、主人公の女の子が男の子を好きになると、絶対に意地悪な女の子が出てきて、その普通の女の子の恋の成就を妨害したりするものなのですが。あるいは同じくその男の子が好きだった友達と仲が悪くなったり。

いいですね、協調というのは。…そうかこれが恋愛自由競争というやつなのか。自由競争…いつだったか民法の授業で習いましたよ…売買契約の交渉がまとまりそうな時に、第三者があらわれて、抜け駆けして契約を済ませてしまったとしてもまったく適法だという。なぜなら経済は自由競争の下に動いているから、という。自由競争下だからこそ売り手も買い手も努力して売り物を品質向上させ、あるいはより有利な条件で買い取ろうとする、という。ちなみに自由競争を阻むと独禁法違反になったりするのですな。ドッキン法…また昔の少女漫画みたいなことを考えてしまいましたが…

しかし、今後は競争をすることになるということは、これから西沢さんもヒナギクさんもお互いが自らを高めようとすることなのでしょうね。ヒナギクさんが向上する姿というのは想像しやすいですね。具体的には剣道の練習とかをしそうな感じがしますね。キレイな女の人がストイックに努力している様を見ると惚れ惚れするものがありますよ。ヒナギクさんは努力を忘れない人らしいし。

しかし、西沢さんも普通の女の子なりに自らを高めてほしいですね。具体的には…
その…
…思いつきませんけど…

…ひまわりの種!…    いえ、何でもありません。

私も二人に負けずにがんばりますよ。とりあえず大阪弁を学びなおそうと思います。『元気やでっ』で。

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グレンラガンをドイツに伝えてくるよ


もう東京を発たねばならない。ドイツが遠いせいだ。
浮世というのはげに世知辛い。
日本はやっぱりいいな…特にアニメがちゃんとTVで流れていることがいいよ。

私が特に感動したのはグレンラガンだ。ファンの一人君が録画してくれていたビデオで見たのだ。もっとも、まだ第一話と最終話しかみていない。変な見方かな?しかし、第一話、それは私にまぎれもない感動を与えてくれた!地上が実在するということを知らないほどに地下深くに長く暮らしていた少年が地上に出て空の広さを知る…!いいね。すごく。なんというか、カタルシスがあるじゃないか!

グレンラガンの魅力的だったところをもう一つ指摘するとすればヨーコだろうか。いいね。声が。

声が誰なのか気になって調べたら知らない人だった。
一瞬「もしかしてヒナギクとおんなじ声の人か?」とか思ってみてみたのだが…ヒナギクとおんなじ声の人だったのはシモンのそばにいるモグラみたいな奴だった。

私って聴力がないのか…?でも、似てない?あの声。

とりあえず、私に課せられた使命はドイツにグレンラガンを伝えることのようだな。誰に伝えたらいいのかは分からないが…あと、ドイツでも知ってる人は勿論知ってるんだろうけどさ。

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