ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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2007年度総括をしよう


あと少しで2007年度も終わろうとしている。普通は2007年のまとめは大晦日にやるものだろうが、年度末のほうが何かと都合が良かったため、このような形式を取って2007年度の総括をすることになった。
ここでは、本会の会員各々の本年度の本や映画などの印象を以下にまとめることにする。

さて、私の場合、特に今年読んで面白かった漫画を挙げようか。

数があるので、書名の列挙と軽いコメントに留めたい。
今年読んだだけであって、昔の漫画も含む。

1、関川夏央、谷口ジロー『坊ちゃん』の時代
 谷口ジローは『孤独のグルメ』の絵でネット上の話題を呼んだが、以前からコンスタントにとてもいい漫画を描いている人だった。そのなかでもこのシリーズは大好きだ。夏目漱石や石川啄木などの著名人の一人ひとりを深く掘り下げていて、興味が湧くとともに感情移入もできる。

2、唐沢なをき『カスミ伝』
 いわずと知れた実験漫画。そういえばこの中にも『忍者ファイト』で『怪獣ファイト』をパロディにした者があったなあ。『絶望ファイト』と絶望先生でもネタになってたやつ。

 なお、同じ作者の『漫画家超残酷物語』なんかも面白かった。

3、島本和彦『アオイホノオ』
 いやあ、熱いよ、いつもながら!
 モラトリアム話ということで「ダメな男の…」といった文脈で言及する人もいるけれども、これは必ずしもダメ人間の話ではなく、モラトリアムの中で漂ってしまう年代の大学生を描いた話だと思う。ストーリーの背後の80年代漫画シーンも面白い!

4、福満しげゆき『僕の小規模な失敗』
 ほんまもののダメ人間の話だろうか…なんでこの人はこんなにもネガティブなのか理解に苦しむほどネガティブなのだ。自分からだめになろうだめになろうとしているようにも思えてしまう…性格悲劇というやつだろうか、シェイクスピア以来の。しかし、客観的に見ればこの人はちゃんと漫画の持ち込みなんかもできるし、ヤングマガジンに持ち込んだりもしているしでちゃんとした人なのだ。ニートじゃないし…。なお、ちょっとだけ講談社周辺の風景が出てくる(護国寺のあたりか)。

5、安永航一郎の数々の漫画…『県立地球防衛軍』やら『陸軍中野予備校』やら『青空遠く酒びたり』やら…
 安永航一郎の描く女の子はなんか大抵あけっぴろげというか少年漫画ではあり得ないほどに度胸その他やらなんかがある。うまくいえないが。その点を気に入ることができるかできないか、が安永航一郎が気に入るか気に入らないかの狭間なんじゃないだろうか。

6、河合克敏『とめはねっ!』
 書道漫画という切り口が新しいし、キャラクターもいい!気の強い女の子はちゃんと気の強い背景がしっかりしているから単なるきつい感じのキャラクターではない(このへん、他の安易なツンデレ指向には何とかしてもらいたい気がする)。書道部の先輩なんかも若干イジワルそうな、しかし気のよさそうな親しみが持てるキャラクターたちなのだ。

…あと桜玉吉とか竹本泉とか、今までも面白かったし今でも面白いという漫画家やらバンブーブレードやらスケッチブックやらのアニメ化されて読んだ漫画も面白かったしで全部挙げていくとなんだかキリがなくなってきたのでもうやめようと思う…

しかし、今年は漫画の面白いものがたくさん読めた年だったよ。
来年も面白い漫画が読めますように。
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2007年度の総括


2007年度はアニメをよく見た年でした。
今まであまり数を見ていなかったのでたくさん見たように感じるのでしょうかね?
以下、面白かったと思った順で並べていきましょう。

1、『俗・さよなら絶望先生』。これでしょう。
私は昔から…『かってに改蔵』第6巻を読んだくらいからずーっと久米田康治先生が好きだったのですよ。特に12巻当たりが一番好きだったのですが…あの辺りから私は人生を一歩大きく踏み外した感がありますな…アニメ化してほしいな。改蔵も。

それはそうと、特に『俗』はシャフト特有の変わった表現方法が生きていたと思います。OPに関しては無印の方が好きでしたが、全体的なはっちゃけ具合とかは圧倒的に『俗』の方が好きでした。例えば漫画版だと隠されていた「宇宙人が攻めてきたとき」の本編が描かれた回とか。あの時のあまりにもアクション的にもりもり動いていた感じの木津さん!いいですよね。マッチョで。女キャラだけど。あるいはポロロッカ語の回…ふざけすぎていたと感じた人も多かったようですが、アニメはふざけきったぐらいが面白いと思っている私は大好きでしたね。でも凝りすぎた感じの回は好きではありませんでした…色んなアニメの技法を使ってみた回とか。芸術的には凄かった回なんでしょうけれども…EDの『マリオネット』もいい曲でしたよね。

2、『スケッチブック』
しみじみとしたいいアニメでした。私はこういうまったりとした日常を描く、みたいなアニメって嫌いだったのでしたが、このアニメは全体に漂う雰囲気が良かったですね。最終回が良かったのも視聴後の感を良くしていました!最終回冒頭のお花見のシーンや、最終回の最終シーン、主人公の無口な女の子が交差点の向こう側の友達のところに駆けていくシーン!少女の繊細な変化を描いていたいいシーンでしたよ。

なお、このアニメは原作の漫画は結構面白いようで面白くないような、面白いような漫画でしたね…私は『栗原さん』が好きでした。虫とかに異常に詳しい人。そんでもって虫や動物の薀蓄を異常に豊富に取り揃えている人。アニメでもあった、主人公の女の子と栗原さんが雨の日の野外観察か何かに出掛けていって自然を満喫するシーンなんかが…大好きでした。…うう、もしかして私が自然に飢えていることを反映した嗜好なのかなあ。

ちなみに原作の小箱とたんの『スコアブック』はあんまり好きじゃない。

3、『ハヤテのごとく!』これは忘れちゃいけないでしょうね私としては。
原作が嫌いだった人はアニメ化に違和感の強い人が多かったようですが、私は大好きでしたね。ナギの声には若干違和感があったけど、さすが実力のある声優なのか釘宮理恵、耳になじんだしもはやその人でしかナギはあり得ないような気もしてきたような。ハヤテの声の人もちょっとなじむのに時間がかかりましたか。いい声でしたが。白石さんという人はちゃんと女の人の声も出せていていいよなああ…とか思っていましたね。白石さんは女の人だから当たり前ですかね。

好きな話は8話のゲームの中に入り込んでしまう話(むちゃくちゃで好きだった)…、39話の先行最終回(グレンラガン色が強くってもうグレンラガンそのものやんけという感じだったけれどもそれでもなんだか言い知れないエネルギーを感じた!)…、文化祭の話、マリアさんとハヤテがデートに行く話し、クラウスてんてこまいの巻、ナギと西沢さんが仲良くなる話、とかかな。あれ、全部オリジナルの話だ…やっぱり漫画とは違う話を求めているのだろうか、私は。

私の大好きなヒナ祭り祭りのエピソードはまだアニメ化されていないので今後に期待大!

4、『天元突破グレンラガン』
何はなくとも一番好きだったのは第1話でしたね。あの地底の生活があるわけですよ…天井のない、地上の生活っていうものがあることさえも忘れ去られてしまっていたような生活を送っていた主人公達、しかし突然まさに降って来たでっかいロボ、そして見つけ出されたちっさいロボ。ちっさいロボに乗り込んだ主人公達がロボを操って敵を…倒し、その勢いで一気呵成に地表までドリルでガガガガガガガガガガッ!と掘り進み、地表に飛び出し、飛び出したままに広がったのが…空!そして広がる360度の平原!地底生活という抑圧が底となっっている高揚、このシーンは私の好きなアニメのシーンの一つになりましたよ。もちろん、感動的な第8話とかも語ろうと思っても語りつくせない思いがありそうなのですが、この一話を見たときに「ああ、このアニメはいいものだ…!」と思ったのでした。

最後のむやみやたらとスケールのでかい話になっていくところも好きだ!

5、『バンブーブレード』
剣道のアニメって剣道に触れたことのない私には実に新鮮でいいものでしたよ!このアニメは私は漫画から入ったのでした…漫画が好きだったのでいいアニメが見れて良かった良かった。何がいいって、最初主人公の先生が剣道部に熱心になる理由が「先輩にお寿司を奢ってもらうため」みたいなのだったところとかでしょうかね。でも生徒一人ひとり、負けたくない思いってやつがあり、最強なたまちゃんはもちろんキリノや他の人々も良かった。努力している様が。主人公の先生(主人公だよね?)が無意味に強かったりせず、しかしちゃんとやるべきところはやっているところも好きだったよ。これはやっぱり漫画が良かったからだよなあ。

6、『みなみけ』
マコちゃんだ。マコちゃんは私の中でもう、他に代えることのできない名誉ある地位を占めているんだ。そのほかにも全体に漂うゆかいな感じ、これだね。音楽が良かった気もする。おだやかな印象を与えるのに成功していた。

『おかわり』の方はあんまり好きじゃなかった…なんか無意味に暗かったし…新キャラはウザかったし…サービスシーンはなんか露骨な感じだったし…後半の回はまだ明るくて好きだったけれども。



あれ『らきすた』って今年だったっけか…?
なんか忘却のかなたに…
これを見て初めてコミケに行ったけど後悔で一杯でした…

2007年度総括

今年はよく映画を見た年だった。2008年に入ってからだけでも『スウィーニー・トッド』、『アメリカン・ギャングスター』、『バンテージ・ポイント』、『人のセックスを笑うな』の4つを見たよ。最後の一つ以外は面白かったな。旧作もけっこう見返したよ。

今まで芸術系の邦画をよく見ていたんだけど、やっぱり映画においてエンターテイメントは重要な要素だなあ。つくづく思った。画面構成の美とか、登場人物の心情とかについて考えさせられる映画なのはいいことだけど、だからといって退屈さがあったりしちゃいけないのだ。退屈さを我慢しながら見る映画なんてロクなもんじゃない。

そんな私が今年気に入った本はフランクルの『夜と霧』。今年何回も読み返した本だ。
昔からの青年期に読む本の定番ではある。だが、私はこの本に今まで手をつけていなかった…たぶん、この本の背後にある重厚なテーマだとか、ナチスによる収容所生活を強いられた心理学者の話という暗そうなイメージ、倫理的な観点から語られがちなエピソードだとか、あるいは出ているのがみすず書房だから手に入りにくいから、とか…

だが、この本は間違いなくいい本だ!
そんなに難しく考えてこの本を手に取るべきじゃない。
この本で語られているのは人間にとって普遍的な、苦境にあってもなお生き抜くことの素晴らしさ、これだと思う。それは言葉にするまでもなく読んでいて喜びを感じることが出来るものだ。

この本において出てくる『苦しみ』のエピソードは並ではない。まず、収容所についた著者、フランクルが受けたのは、選別。看守のドイツ兵が収容所に入る人々の列の前に立ち、歩く人々を眺めては指を右かあるいは左に傾けられる。9割がたは右へ、1割は左へ。フランクルのときには左に傾けられた。そして、この選別で左に指が傾けられた人は、労働に適さないと判断されて、すぐさまガス室送りとなっていたのだった。

フランクルは妻と一緒に収容所に連れてこられていたのだが、彼は妻の安否を知ることはできなかった。そして毎日が苦しい労働の日々。こぶしぐらいの大きさのパンに薄いスープで一日の食事は終わりだ。バイエルンの空気は冷たく、飢餓浮腫でむくんだ足は木靴に入らない。ある時、疲れ果てて眠った隣人が悪夢にうなされているのに気づき、フランクルは彼を起こそうとした…が、やめてしまう。どのような悪夢であっても、今彼が置かれている現実よりも辛いことはないのだ…

しかし、心理学者である著者は語る。いかに辛いときであっても愛する人の面影への思慕によって人間は苦しみに耐えられる(そしてそれにはもはや、愛情の対象が生きているか死んでいるかなどということは関係ないのだ、という)。

また、強制労働から帰ってきて、くたくたになってベッドに入ろうとしたフランクルたちを同僚が「いいから早く出てきてくれ!」とせかしたこともあった。疲れ果てた体を起こしてフランクルたちがバラックから外へ出てみると、そこにはバイエルンの山々に沈んでいこうとする夕日があった。そして一人はこうもらしたという、

「世の中ってやつはなんて美しいんだろう!」
傍らに飢えや疲労で苦しんでいる人々がいるぼろぼろのバラックがあり、彼自身も飢えや疲労で苦しんでいるというのに。

…所詮私が日頃味わっているような精神的・身体的な苦しみなんてフランクルのような極限状況にはとても及ばないようなものだということ、そして、そのような中で命を落とした多くの人がいること、そしてそのような中を生き抜いた人がいることが私に勇気を与えてくれる本だった。

期待しよう、


私は今日のハヤテのごとく!のアニメを見つつも
「ああこれで終わりか…喜びの時代もいつしか終わり、あとには楽しさの思い出と涼しい悲しさが残るのみなのか…」などとアポリネール的に思っていたのですが…

私はいつも今までのこと、例えば高校何年生だった時のことを思い出すたびに「ああ、あの時にはあのアニメがやってたなあ」と思い出す(そしてそのときのビデオを見てもああこのときは何年生だったなあ」と思い出す)たちだったのです。ハヤテのごとく!もそのうちの思い出と化してしまうのか、と思っていたのですが…

ところがどっこい、アニメの最後でどどんと出てきたのは…

二期ですか!

そうだ、スカートは短くお楽しみは長く!のテーゼを厳格責任的に墨守するのがエンターテイメントだ!
ありがとうプロデューサーズ。

いやあ。賀すべきことですね!そうですかヒットですか!

商業的にヒットするということは、購買者に比例した数のそれを楽しんだ人がいるということですよ。
人を楽しませることができるなんてすばらしい。日本のアニメ産業的な視点からもすばらしい。

一応今日で一期が終わり、ということで、一旦ハヤテのごとく!が放映されない時期があるということは若干残念ですが、その間は絶対可憐チルドレンを楽しく見ることとしますよ。元々大好きな作品だったことですし。それに『復活の前に死がある』とも言いますしね。

私は貧乏学生の身ゆえ、私はあまりハヤテのごとく!の商業的な成功の一助となれたのかどうだかよく分かりませんが…ああそうだ、そういえば私はあの異常にでかいキャラクターの原寸大カレンダーを購入しているのですよ。意外と安かったので買ってみたのですよ。持って帰るのが大変でした。飾ってなくて、巻いてあるだけなのですが『持ってるだけでも意味がある』とアニメ店長の歌で教わったので全力で所有しています。意味がある、ああ意味がある、意味がある。

今後もハヤテのごとく!の展開が楽しみですよ。ああ幸せだなあ。
藤田和日郎先生の漫画も始まったし。幸せすぎてこわいくらいだ。『幸せですか?幸せですよ!』

喜びに浸っている私にもはや怖いものなんてないですよ。
…おっといけない。怖い怖い、ここらでひとつ映画化が怖い、と言っておきましょうか…

テーマ:ハヤテのごとく! - ジャンル:アニメ・コミック

いいんちょさんメイドのハヤテのごとく!における地位

春ですね。春と打ったらハルっと出てきました。これはハルさんのせいですね。人生の歪みがPCに現れてくるのですね。歪んだ私は元気です。なんならもっと歪ませてやりたいくらいです。

さて。今週はいいんちょさんがミニスカメイドなお話でしたね。そのミニっぷりは他のメイドさんを寄せ付けない何かがありますね。そうか、ハヤテのごとく!におけるスカートの長さ派閥ということで考えてみると、マリアさんおよびサキさんがロング派、ハルさんがミニ派、というのが現在のメイド界の派閥状況のようですが、ここにいいんちょさんが参入することによって二極均衡状態が生じ、よってキャスティングボードを握るのが『新たなるメイドさん』になったのか…今後各派の派閥工作が激化し裏金が乱れ飛ぶことになるでしょうね。あるいはそれを淡々と調査する特捜検察、さらには政界の黒幕の七変化…

いや、あるいはさらにハーマイオニーをどうカウントするかによってもこの派閥のパワーバランスは大きく変わってくるでしょう。あるときはロング、あるときはミニだった彼をどうカウントするのか…執事兼メイドという彼の存在が不確定要因として政局を揺るがすことになるというのは事情通の政治部記者達の一致した見解ですよ。

それにしても、いいんちょさんのおうちはソ○ーだったのですね。これはたぶん○ニーってことですよねえ…もちろん○ニーにもポニー(馬)とかペニー(硬貨)とかサニー(日産の車)とかケニー(大変だ!ケニーが殺された!)とかアニー(my love)だとか、いろいろ考えられますが、やっぱりソニーなんですかね。いいですよねソニー。私はプレステ2ぐらいしかソニー製品を保有していませんが…しかし、おうちがソニーということは、井深大…いいですよね井深大。月8万円の給費奨学金である井深大記念奨学基金は貧乏学生みんなの憧れ。…そして晩年は超能力研究に財産を投じていた井深大はムー民みんなの憧れ。そんないいんちょさんは超能力の一つや二つ使えておかしくないですよ。

たぶん、いざとなったらレベル7のチルドレン並みのアビリティを発揮してしまうが故にその能力を制限されているんですよ。ちょっとドジッ子なのはその反作用なのですよ私の妄想的には。透視能力とかあって欲しい。それをどう使うのかは思いつきませんが…ハヤテのごとく!の後番組が絶対可憐チルドレンだったから、という身も蓋もない連想ではありません、決して。うむ。

ああ、そういえばあと一週間でハヤテのごとく!のアニメの放映もオシマイか…最後の回は例のギリシャの回っぽいですね。ああ。この一年色んなことがあったなあ…私は『あずまんが大王』を見ると中学時代の一時期を思い出すのですが、これから『ハヤテのごとく!』を見ることがあったらまたこの一年間を思い出すのでしょうね…感慨深い。

テーマ:ハヤテのごとく! - ジャンル:アニメ・コミック

児童ポルノ法をめぐる議論について

最近気になっていることがある。児童ポルノ法の改正如何だ。

改正の内容に関する議論については、ここでは触れないでおこう。長くなりそうな気がするからだ。私が問題としたいのは、議論そのものの方向についてだ。最も議論されるべきことがら、その刑事政策的な意義についての議論がほとんどなされていないような気がする。

児童ポルノ法(以下、本法)が関わる問題は多岐にわたるため、以下では、今一番問題となっている『被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化すること 』の刑事政策的な意味如何について述べたい。

本法の目的はその第一条に規定されている(戦後の法律は大抵目的を第一条に持ってきている)。
それによれば、この法律の目的はこうだ。

『第一条  この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする。 』

つまり、目的は『児童の権利の擁護に資すること』であり、その手段として『児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定める』、と宣言しているわけだ。「準児童ポルノ」を違法化するとすれば、この目的『児童の権利の擁護に資すること』に適合することが求められることになる。

では、目的のために手段は適合しているのか?

この点、「適合していない」ということを主張するとすれば、例えば次のように述べることになる。

『この規制のベースは、「性的虐待の表現を目にすることで、人は性的虐待に走るようになる」という思想が感じられるが、果たしてそうだろうか。これは、本来逆の話だ。つまり元々そういう性的指向のない人は、いくら児童の性的虐待表現を目にしても、ただ嫌悪感を感じるだけである。一方実犯罪に走る人は、別にこういった表現があろうとなかろうと、何かのきっかけで引き金は引かれるのである。』
小寺信良『「児童ポルノ法改正」に潜む危険』三ページ目より引用)

つまり、性的虐待表現を含む表現物を好む人は元々そういった表現を好んでいて、それゆえに性的虐待表現を含んだ表現物を買い求めたりするのであって、そういう嗜好のない人はそもそも買い求めたりはしない、ということが述べられている。(…①)

これとは逆に、「適合している」ということを主張するとなれば、①とは逆に『元々そういう性的嗜好のない人であっても、性的虐待の表現を目にすることで、人は性的虐待に走るようになる』(…②)ということを述べる必要があるだろう。

さて、ではこの①、②の二つの意見はどちらが実態に即しているのだろうか。新聞なんかに掲載される識者の意見、なんてやつだと②の意見が多く、ネットユーザーの意見としては圧倒的に①の意見が多いだろう。そしてこれらの意見が提出される議論はいつまでたっても平行線で、見解は交差する点を見出す余地がないようにも思える。

だが、意外とつながりがあったりするのではないだろうか。つまり、実態としては②だけではなく①(あるいは①だけではなく②というべきなのか)の要素もあるのではないだろうか。

まず、そもそも興味のない分野の本を買い求めたりすることはない、という①については経験的に容易に検証できる。例えば私はいわゆるヤンキー趣味は持ち合わせていないので地方のコンビニエンスストアに行っても『チャンプロード』を手に取ったりはしない。別に釣りの趣味はないので図書館に行っても『近畿の鮎釣り』などといった本を借りたりはしない。私はミステリー好きだが、ミステリーに興味のない人は本屋に行っても『ミステリガイド』を手には取らないだろう。

では、②についてはどうか。①を踏まえて考えれば『元々そういう性的嗜好のない人』が『性的虐待の表現を目に』し、かつ『性的虐待に走るようになる』ということはレアケースのように思える。だが、次のようなことは言えないだろうか。

まず、本や漫画に触れることでなんらかの影響を受けることは、経験的に、よくあることだと問題なく言えるだろう。

また、例えば、何かの趣味Aを始めた原因として、『特にAに元々趣味があったワケじゃないけど、Bを扱った本を読んでたらちょっとAのことが出てて、それで気になったんだ』、みたいなことをいう人は多いと思う。従来有しなかった嗜好が新たに本や漫画の影響で形成されるに至ったケースである。具体的にはスパイ物の映画が好きだった人が、映画の中に出てくる銃がかっこよく思えてガンマニアになったり(私がそうだ)、普通の少女漫画が好きだった人が、漫画の中に出てくるちょっとしたボーイズラブ風の描写に魅かれて、本格的なBL好きになったり(知人がそうだ)、普通の漫画好きだったがマガジンに掲載された『ラブひな』を読んでいるうちにアキバ系の趣味に興味を持ち出したり、普通の漫画好きだったがサンデーに掲載された『かってに改蔵』を読んでいるうちにアキバ系の趣味に興味を持ち出したり…

…なんだかあんまりポジティブに捉えられないような嗜好の形成についてばかり具体例を挙げたが、「『スラムダンク』をヤンキー漫画だと思って読んでたら、しっかり立ち直った三井の姿に感動してヤンキーをやめた人」なんていうケースも勿論あるだろうから、本や漫画が与える影響について否定的な印象ばかりをもって捉えることはないだろう。

ただ、ポジティブな影響を与えることがあることが認められるとすれば、同時に、ネガティブな影響を与えることもありうるといえることだろう。本が人に与える影響力は価値中立的なものだからだ。

だとすれば、何段階かのステップを踏んだ後、今までにその分野に対する嗜好を持っていなかった、あるいは拒否反応を示していたような種類の表現物に対しても違和感なく接するようになることがあるといえるだろう。例えば、
『バカボンド』を読む→
同じ作者ということで『スラムダンク』を読む→
『スラムダンク』とだいたい同時期のジャンプ漫画ということで『ろくでなしブルース』を読む→
今まで嫌いだったヤンキー漫画も読むようになる、などといったような。

性的嗜好に関してはより固有の嗜好が強いためにそのような現象は起こらないのではないか、と思われる向きもあるかもしれないが、現実にこのような嗜好の形成が存在することは一般に周知のものとなっているようだ(また、この現象をポジティブに捉えて、カナダ(かどこかの外国)の性犯罪者の更正プログラムでは利用されているそうだ。社会的に好ましくない性的嗜好(例えば暴力的な性行為など)を有する受刑者に、社会的に妥当なポルノグラフィーによるマスターベーションを行わせることで、社会的に好ましくない性的嗜好を抑えることができた、という報告が日本の刑事政策雑誌『罪と罰』の2、3年前の号に載っていた(記憶があるのだが、現物を探したにも関わらずなかなか見当たらないので見つかり次第この部分の記事は差し替える))。

そして、形成された嗜好については、やはり人間、ぜひ実行に移してみたいと考えるのが人情だろう。例えば私はガンマニアで、やっぱりできれば銃を撃ってみたいと思っている。だが私や多くのガンマニアは銃刀法等を考慮することができる人間であるから、条例や法律の規制値に適合したエアライフルをぱすぱす撃っていたり、あるいは銃を撃っても構わないところまで旅行して銃を撃っているのである。そして、銃の乱射事件が起こったりすれば普通の人と同様に、あるいは(銃に対する社会の目が厳しくなるな、と嘆いて)普通の人以上にそのような事件が起こることを悲しんだりする。児童ポルノの愛好者だって、同様のことが言えるだろう。できればそういうことをやってみたいのだけれども法に触れるのは本意ではないし、そのような事件を起こす輩を憎んでいるはずだ。

だが悲しいかな、ガンマニアが高じて銃の乱射事件を起こす奴や、小児性愛が高じて児童に対する性的な虐待事件を起こす、堪え性のない奴は確実に存在しやがるのである。存在し、その嗜好形成原因と事件との因果関係があるがゆえに銃の所持は厳格に規制されている。児童ポルノが小児性愛を形成する可能性があり、そして小児性愛者が性的な虐待事件を起こすという因果関係がはっきりと認められれば、児童ポルノに対しても何らかの規制がされるべきことになるだろう。

しかし、この問題に関しては、仮に『ある種の本や漫画がネガティブな嗜好を形成する可能性があり、かつその嗜好が発現されるおそれがある』と言えるとしたとしても、それだけで即『だから規制されるべきだ』とはならないはずだ。

例えば、現実に18歳未満の女性と性的関係を持てばなんらかの罪に問われるだろうが、そのような嗜好のはけ口としてポルノが使用されることによってむしろ犯罪の抑制に役立っているという点も同時に指摘するべきだ。前述のカナダ(かどこか)の性犯罪者更正プログラムにおいて活用されているような側面も注目に値する。

だとすれば、本法の刑事政策的な意義を考量するにあたっては、児童ポルノが今まで担っていたポジティブな側面(はけ口としての側面)とネガティブな側面(新たに児童への性的嗜好を形成し、発現のおそれがあるという側面)について、秤にかけた結果、どちらを重視するべきかを判断することになるだろう。児童ポルノが犯罪に抑制的に働くと考えるならば本法の改正は妥当ではないし、児童ポルノが犯罪を増長すると考えるならば本法は改正すべきだ。

現在の議論について概観しても、その内容はその価値考量判断に至らず、感情的な好悪のレベルの議論に留まっている気がする。

以上から、本法の改正を推進しようとするならば、そのネガティブな側面がどのようなものであってどの程度あり、どれほどポジティブな側面に対して優越するものであるのか、ということを調査し、検討し、報告するべきだ。改正に反対するとすれば、その主張されたネガティブな側面が優越するという点について否定する証拠や主張を提出すべきことになる。そのような段階を踏まない感情的な議論はそれ自体失当であるように思われる。


…なお、以下、きわめて個人的な意見を述べさせてもらえば…

一、まず、刑事政策的な観点からは、刑罰はなるべく謙抑的になされるべきであるということが指摘される。刑罰の現実の姿としては、やはりそれは苦痛を伴う害悪であり、犯人の全生活のみならず、犯罪とは全く無関係の犯人の家族や親族らにも無形・有形の負担を強いていることは否定すべからざる事実である。だとすれば、仮に規制を加えるとしてもそれは刑事処分であるよりも行政処分であったほうがいいのではにだろうか。また、科刑に関しても、懲役刑などの自由刑ではなく、罰金及び没収のレベルに留めるべきではないだろうか。

二、上述のように、本法の評価の前提としてポジティブな側面とネガティブな側面があることを踏まえれば、規制されるべき児童ポルノは特にその内容に対応したものであるべきなのではないだろうか。例えば、単に少女趣味のあるポルノと少女への暴力的な性行為を描いたポルノとを同列に扱って規制するべきではないだろう(堪え性のない奴が「実際にその内容を実行したくなった」場合により法益侵害の度合いの強度な内容のものか否かを考慮するべきだ)。そのような暴力的なものに関しては別論、ハードコアでないポルノについてはポジティブな側面を重視し、規制すべきではないと思われる。

三、二にも関係することだが、刑事政策的に見た場合、児童ポルノよりも、より問題のある内容の表現物があるのではないだろうか。児童ポルノはまず第一に規制すべき対象なのだろうか。たとえば文章中に挙げた『ファンロード』…がそうだとは中身を見たことがないのではっきりとはいえないのだが…暴力的な行為を称揚するような表現の漫画などに未だ価値観が流動的である青少年(だいたいこういう表現を使ったときの『青少年』は中学生ぐらいの子供がイメージされているのが普通のようだ)が接した場合の影響を考えれば、現実的には、児童ポルノよりもより多くの問題が内在している気がする。ヤンキー向け雑誌を興味本位からか読みすぎて、中二病をこじらせてヤンキーになった奴ってけっこう多そうな気がするのだ。もっとも、この点に関しての統計調査などはないだろうし、あったとしてもその信頼性が問題となるから期待はしていないけれど…

石黒正数の2作品を買ってきましたよ

やあみなさん、お元気ですかね。私は不健康です。春分の日は図らずも昼夜逆転生活を送ってしまいましたよ。朝6時半に眠りに付き、夕方5時ごろに目覚める。不健康きわまれり。それと言うのも雨が降っていて本屋に行けなかったからなのですよ…これが春雨って奴か。くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる。私の心情としては、落語の『船底をガリガリかじる春の鮫』の方がマッチしているのでしょうかてやんでいべらぼうめ。

さて、春分の日、つまり昨日、私は本屋に何を買いに行こうと思っていたのか?そして、なんでまた雨が降っていたくらいで買いに行くのをやめたのか?その答えは簡単、私が買いに行こうと思った本は石黒正数の『それでも町は廻っている』第4巻と『ネムルバカ』の二つだったのです。どっちもわりと大きめの書店でないと発売日当日には入荷していないので、遠い本屋に行かなければならなかったのですが、雨だったのでひきこもっていた…というわけですな。出不精。

で、今日はちゃんと買いに行ってきたのですよ、この両作品を。今日は志村貴子の『青い花』の発売日でもあったのでそれも一緒に買っちまえと思ったのですが、行った書店ではどうも発売日入荷はされていなかったようで…残念。

しかし『それでも町は廻っている』はいつもどおりチャンと面白かったので満足。今回は初の中篇がありましたね。歩鳥たちが田舎まで埋蔵金を探しに行く話し。なぜか80ページぐらいあるのに長さを感じさせないというのは作者の力量でしょうか。普通の16ページくらいの話と同じような読み方で読み進んでいって、70ページぐらい読んでからやっと『あれ、これってもしかして結構長い話だったのか?』と思ったという。こういった感想を抱いたのは私だけだったんですかね?話の筋が一本通っていることと、キャラクターが生き生きとしていることが長さを感じさせない秘訣なんでしょうか。

そして『ネムルバカ』の方ですが…これは、紛れもなく私が最近読んだ漫画の中では、こう、なんかこう、その、あの、あれ。『モラトリアム』のもどかしさを表現していることに関しては、そしてその感覚が暇大学生の心にしみこんだ事にかけては、あきらかに、今までにない形の読後感があったというべきでしょうか。

最近なぜか『アンラッキーヤングメン』だとか寺山修司の『新・書を捨てよ、町へ出よう』だとかを読み返しているのですが、それらの本に描かれているのもモラトリアムの退屈のそのはけ口、だと思うのですよ。どちらも描かれているのは60年代の日本社会。アンラッキーヤングメンの方は現代から思い出されている60年代、そして寺山修司が生きていたのがまさに60年代、著作も60年代においてなされたもの。この二つは創作の時代背景を異にしていますが同一の時代を描いているもので、そしてそのドラマの中に共通しているのが退屈とそのはけ口。と、私は読んでいます。

で、『ネムルバカ』にも、ストーリーの時代は違えどその「退屈とそのはけ口」を語るものを感じたのです…(もしかしたら若者を描いた漫画はどうしても「退屈とそのはけ口」をドラマとして避けて通ることができないのかもしれません…デスノートの主人公も「退屈だったから」ノートを使い始めたわけですし)…が、その方向性は明らかに異なっていて、一言で言えば退屈の理由として「目的地のない迷走」を感じるのですよ。60年代を描いたものにはキチンと『目的』があって、しかしそれが達成できない、そこから迷走が始まっていたのですが、現代を描いた話だと、そこには目的地もはっきりしやしない迷走がある…時間はあるけれども世界にほっぽり出されどこに行ったらいいのかわからない、そんな迷走が。『ネムルバカ』の”先輩”が変なカーナビのせいで道に迷うシーンはそれを象徴している、というとこじつけっぽいですが…

追伸:
『それでも町は廻っている』の冒頭カラーページを読んだ印象としてなんだか「アニメっぽい…」と思いました。この漫画をアニメ化してほしいなあ。『スケッチブック』みたいなあんまり元々売れてなさそうだった漫画もアニメ化したら面白かったりするんだから、『それでも町は廻っている』ならもっと売れそうな気がするんだけれども…

テーマ:漫画の感想 - ジャンル:アニメ・コミック

ハヤテのDSのゲームが欲しいけどDSを持ってなかった自分、にさよなら

春の気配も深まる今日この頃。皆さん、お元気ですか。私は…

…ところで話はかわりますが、今日、大学図書館に行って来た帰りに地下鉄に乗って、ふっと窓の外を見たのですよ。もちろん地下鉄なので外は真っ暗、自分の顔が映っていたのですが、ふと自分の顔を見ると、50前のおっさんの顔がそこにあったのです。

「あれ、自分もしばらく気づかないうちにこんなの年をとっていたのか。しかも性別まで変わって」と思ったのですが一秒後にそれは自分の隣にいた人だと気づきました。つまり、何が言いたいかというと、疲れていたということですよ。疲れていたのですが、今週のハヤテのごとく!を読んで元気になったんですよ、ということを言いたいのですよ。

いいですね久しぶりの女装ハヤテは。実質的には一つのカットだけですけれども。かすかに見える鎖骨がエロス。ほのかに上気した頬がパトス。振袖が婚姻前のおなごの気配をいやおうなく強調していますね。荒ぶるタナトスはウエストのくびれ。火照る肌はリビドーの証。

それにしてもネコミミ服でなければハーマイオニーではないというのですかクラウスは。ニーソックス着きのミニ浴衣じゃ不満なのか。贅沢者め。平家でなければ人でないというのか。奢る平家も久しからず。1巻を読み返してみると、59歳になるクラウスは181センチの身長と80キロの筋肉質の体で苦手なものは酒・煙草・女ということなのですか。健康的。このヘルシー・マッチョ野郎が。しかし、女の人が苦手なんだったらハーマイオニーに惹かれても全く問題はありませんね。ハヤテの苦手なものも『女の子』ということですから色々問題がありませんね。

DSのゲームにもハーマイオニーが出てくるってんだからいいですよね。アニメ放映のときに流れていたCMを見た感じが面白そうで、すごくやってみたいのですが、DSを持ってません…「DSを持っている方は勿論、持っていない方もとりあえず遊んでみてください☆」と畑先生はおっしゃっていますが、具体的にどないせえっちゅうんですか。幼い頃、まだPSを持っていなかったためにPSを持っているフリをして妄想でPSソフトを遊んでいたのを思い出します。あの頃から私の妄想力は確実に病的な方向に進みだしたのですかね。

…3月14日発売。つまり明日発売なんですか。DSを買おうかと思います。しかし任天堂当局もハヤテのごとく!がDS購入の糸口になるとはあまり予想していなかったでしょうね。予想を超える漫画ですねハヤテのごとく!は。

グッズ展開すら予想の斜め上を行く展開だ!これぞ少年誌。これぞサンデー。ああモンテルパの日は落ちて。ああ日製動漫に死角無し。欲しがりません勝つまでは。そうだ私は欲しがっていいんだ。私は『何か』に勝ったから欲しがっていいんだ。物欲の全肯定ですよ。我執執着フルスロットル、行くぜ良い子の秋葉原!行こうぜみんなの池袋!

いや、池袋では売ってないのか?

追伸:伊澄が酔っ払う話も読んでみたいですよね。

追伸2:あ、明日ってホワイトデーじゃん。うわああ。酷な日にそんなものを出しやがって出しやがってこの野郎。あ、『じゃん』とか言ってしまった。

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アニメってやっぱり三月で終わっちゃうんですね;そして今度は映画と見た!

今日は図書館の窓から桜の蕾の桃色が見えて驚いたものですよ。私が知らないだけで世界は確実にあたたかな方向に進んでいたんですね。俺はハルヒの肩をつかもうとして、まだ手を握り締めたままだったことに気づいた。それに俺、実はポニーテール萌えなんだ。ポニーテールといえば、家庭教師先の小学生の女の子に「髪型を変えたりしたら何かあったのか、って思う?」と尋ねてみると「勿論!」という答えでした。小学生って自分の記憶よりもかなり色々考えている年代なんですね…よくよく思い出してみると自分もそうでした。たぶん、みんなそうだったのに忘れているんでしょうね。

そういえば、私も小学生のとき歯医者が嫌いでした。今でも嫌いです。私は歯医者と不動産屋と官僚がたぶん一生嫌いだと思います。小学生のとき、そう悪い歯並びでも無かったのに「タダにするから」という理由で歯列矯正の実験台にされた恨みが未だに残っているのですよ。母が歯医者の受付をやっていたのを今でも恨んでいます。9歳だった私は小学一年生ぐらいだった女の子が虫歯を抜くときに泣き叫んでいるのを見て初めて人生の悲しみについて考えるようになったのを記憶しています。だから「矯正してやる!」とか言われたら私は本気で逃げると思いますよ。さまざまな恐怖によって。

そんな私には「歯が痛い」という理由で家出する、なんて思考は朝飯前で理解できますよ。なんだったら一緒に逃走経路を考えるのに協力したいくらいです。歯医者のネットワークから身を隠すための最良のルートを検索したり。きっと反歯医者派の地下組織が咲夜の身柄を守ってくれますよ。歯医者からの弾圧があるかもしれませんね。武装した歯医者が基地を強襲してきたりも。あるいは歯医者に捕まったと見せかけて替え玉だったとか。捕まっても脱出用のトンネルを掘るとか。差し入れのトランプと見せかけて、裏の絵柄を組み合わせると収容所周辺の地図になっているとか。しかし、いつしか歯医者とも心を通じるようになり、一つの橋を架けることができるまでになるかもしれません。その橋は作ったとたん爆破される運命かもしれませんが。

あと、気になったんですが幽霊って歯医者に行けるんでしょうか?どう考えてもダメな気がするのですが…少なくとも保険は利かないでしょうな。女湯が覗けても医療を受けられないというのは透明人間や幽霊の哀しいところですね。最上の命医も困惑するでしょうな。いや、女湯が覗けるということは男の人にとってはよっぽど大きな意味のあることだとしたら、もうむしろ、どんと来いといった感じなのでしょうか。深い世界ですね。とりあえず、一番うらやましいのはステルス・スネークということで一席のお粗末。

追伸:
関西を離れた男の人には、ホームシックのために関西弁をしゃべっている女の人が魅力的に見えるってのは本当なんですかね?

追伸2:
アニメはやっぱり一年で終わってしまうのか…残念です。でもそう長くはがっかりさせない、という畑先生のお言葉を信じておきます。そうさ、ロマンロランも「復活の前に死があるのだ」って言ってたし。私の好きな言葉なのですよ。残された後4話を全力で見ます。ビデオがなかった頃の芸大生のように。

でも三月で終わっちゃうのかー…是非これはアニメで見たい!というエピソードがまだまだ一杯あったのになあああ。でも『長くは待たせない』って事は、二期だとか映画だとかがあると見た!

特に…もしかして映画じゃないでしょうか?私は今度は映画があるんじゃないかと予想しているのです。だってホラ、アレですよ。ヒナ祭り祭りのエピソードって周辺までしっかりやったら、映画の尺にちょうど収まるくらいじゃないでしょうか?ヒナ祭り祭りを映画でやってくれたら私の喜びで涙が糒をほとびにけり。かもしれないんですが。

たぶん、実際に映画化したら110分ぐらいでしょうね。どのような魔法の計算式でこの数字が出てきたのかについては営業秘密なので秘密なのですが。

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退屈な日々には新しい形のBLを創ろう!虎鉄×ハヤテBL小説第?弾

雨の日って憂鬱、何ていうのは使い古された惹句なのかな?昼間は晴れていたはずなのに、夕方ごろから小雨が降りだしていたようだ。こうしていると何もしなかった休みの一日が思い起こされる。

具体的には闇金ウシジマくんを全巻再読していた。なんか読むたびに心にささくれが出来る漫画なんだけどなんか読みたくなるんだよね。そんでもって読んだら読んだでやっぱり暗い気分になるんだよね。でも読んでしまった。あと、非常食のカンパンをどんな味かなっと食べつくしてしまったり、MGS3をやってみてやっぱりうまくできなかったりもした。すぐに見つかる間の悪いスネークに苛立った。やっぱりグレネードを主力武器にして戦っていくというのは無理があるのか?しかしそんな苛立ちをぶつけるところはどこにもなかった。

さて、こんな一日の埋め合わせにせめてこれからでも何かしようか。

「そうだ!BLを書こう!それも新しい形のものだ!」

既存のBL概念ではあり得ないようなBLを作ろう。今まで書いてきたのも結構「これってBLか?」とか言われていたけれども、それはそれこれはこれ。

というわけで以下、その所産。言うまでもないことだがBL注意。
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なぜか、なごり雪が思い出される

風も温む今日この頃、皆さんはいかがお過ごしですか。あったかくなってくるとじきに花粉症の季節ですよ。ネコが闘争的な日常を迎える季節ですよ。おいらニャけものの血が騒ぐ。だけどるるるるーるるるーるるーるるるー。また、おのぼりさん目当てのキャッチセールスが渋谷辺りを徘徊する季節ですね。私もおのぼりさんに間違えられないようにしなくては。いや、私はまだおのぼりさんなのか…?明日はどっちだ。

それはそうと、東京っていたるところにコンビニがあって便利ですね。私の住んでいた大阪の辺境ではコンビニに行くのに自転車で20分ぐらいかかるのですよ。寒い日はおちおちサンデーも買いに行けやしない。雑誌購買数の向上のためにはまずコンビニの辺境への普及が必要でしょうな。551の肉まんと引き換えに東京の友人に買っておいてもらったサンデーで、東京に帰ってきた今日、ようやっと今週号のハヤテのごとく!を読めましたよ。

さて。今週の話について、BSで畑先生は「たまに小学生の読者が面白いのかどうかわからない話というのを考えてしまうことがあります」とされていますが、私には面白く感じましたよ。19歳の人間の言うことですから小学生の感想の参考にはならないでしょうけれども。でも小学生の頃の私でも面白いと感じたと思いますよ。髪の毛を切る前の桂先生が魅力的でしたよ。そしてこれから桂先生が髪を切るに至るまでの心情…想像するだに山あり谷ありなんでしょうなあ…あ、この感想だと「あんたも色々えらいこと大変やったんですなあ…」みたいなおばあちゃんがテレビ見ながら漏らした感想みたいですな。若々しくない。お嬢ちゃんの巣鴨。とげぬき109。

やっぱり、小学生には人生の酸いとか甘いとかを踏まえた髪型の変化からドラマを読み取ることは難しいのですかね。明後日家庭教師先の女の子に「どう思う?」とか聞いてみますよ。髪形の変化からドラマを読み取れるかについて。国語の読み取りにかこつけて。タモリのように。

それにこれからの「ギター片手に幼い妹と二人新たな人生を歩みだす」なんて情景は素敵じゃないですか。

でも、ギターと聞くと私はアコースティック・ギターからイメージが離れられません。『なごり雪も降るときを知り、ふざけすぎた季節のあとで、いま、春が来て君はきれいになった』、ってなもんですか。

髪の長かった若かりし桂先生は美少女でしたが、髪を切った桂先生もきれいだったはずですよ。母は強し。母じゃないけれど。

でも、また伸ばせばいいのに、髪。何かきっかけがないと伸ばしにくいものなのですかね。幼いヒナギクの手を引いた若かりし桂先生の心情やいかに。時がゆけば幼い君も大人になると気づかないまま。

ヒナギクさんは今後、桂先生のようにはならないんですね。あと71ページの『先生…』と言うハヤテ君が好きですよ。初々しいってすばらしい。あ、また年寄りくさい感想になってしまいましたが…

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