ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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ちょっと「子供の孤独」特有の悲しみを感じてしまった今週のハヤテ

お久しぶりですが、中延文学会の皆様、お元気でいらっしゃいますか?ヤボ用で東京を離れているe-coです。なんかこっちはサンデーが手に入りにくいんですがこれって何かの罰とかなんでしょうか。…近頃こちらも日は長いですが、梅雨寒ですね。表に出ると秋始めのような冷気で、薄着だと寒く感じるぐらいですよ。6月ももう終わりなのに。

それにしても、BSによると、畑先生はパソコンを打ちつつ寝てらしたそうですが、うっかり布団じゃないところで寝ると風邪を引きますぜ。畑先生の「べほまー!!」という気合(合いの手なのか掛け声なのか挨拶なのかは察しかねますが)は畑先生の体力の消耗を回復せんとする魔法かなんかなんでしょうか。あるいはマホアゲル的なものとかの方が欲されているのでしょうか。私はあいにく職業が僧侶でも賢者でもないので回復魔法が使えませんが、専業空想家やふかづめ師にはジョブチェンジが可能かもしれません。こんど魔法屋に行く機会があったら、ふかづめ師が使える回復魔法を購入しておきますよ。ジョブポイントが低くて買っても使えないかもしれませんけれども。

あとBSで、畑先生が疲れている理由について、「なぜこんなに忙しいかは近い内に……。」との畑先生の記述があったことから、何か畑先生が関わっているプロジェクトに進展があったりしたのかもしれませんね。何でしょうか、やっぱりアニメ第2期かな?あるいはOVAとかか?希望的観測を言えば映画化とかであってほしい。

それはそうと。
今回の話は何か悲しげな余韻をうかがわせるお話でしたね。私は孤独の話に弱いのですよ。孤独のグルメとかにも弱かったです。そして特に孤独な子供に弱いのですよ…前回のお話のハヤテの「体にあざや傷がある」というのも、虐待を思い起こさせて…あるいは虐待そのものっぽくて悲しい感じでしたが…アーたんが今まで味わってきた孤独というのを思い起こさせられる今回のお話は、特に私の悲しさ神経をピンポイントで刺激する感じでしたね。世の中には寂しいと死ぬ人がいるのです。天球の鏡も何だか悲しいアイテムな気がします。かつて会ったことのある人は見えるけど、会話はできないなんて。テレビのブラウン管越しの邂逅のような。アルバムの写真を眺めるだけのような。

鏡の中に映ったのはマリアさんっぽい女の子なのですか…背景はやっぱりギリシャはミコノス島なんでしょうか。ミコノスって変換したら巫女の巣って出るのですが、これは何かの暗号なんでしょうか、なんだってー、的なかんじに言えば。大体、あの島の名前が本当にミコノス島で合っていたかもおぼろげな記憶の彼方なのですが。そういえばナギやマリアさんは在日期間よりも海外滞在期間の方が長かったんですね…

そして、ハヤテとアーたんの二人は「ずっと一緒」契約を締結するのですね。しかしこの雰囲気でのこの契約は、それ自体、契約不履行の予感がびんびんですね…言うなかれ、君よ、別れを、世の常を、また生き死にを。来週の展開も楽しみなのですが悲しみの予感もあって、面白悲しそうな気分です。今までの自分の別れの経験を数えつつ。
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テーマ:ハヤテのごとく! - ジャンル:アニメ・コミック

今回の騒動を経験した読者はどのような行動を取るべきなのか

たぶん、雷句誠の訴訟を取り巻く今回の騒動を関心を持って眺めている人はいくつかのタイプに分けられるだろう。

④出版業界全体に強い不満がある
③小学館全体に強い不満がある
②サンデーの編集者全般に強い不満がある
①サンデーの編集者の一部に強い不満がある
◎出版業界全体について不審を抱きつつある

…というのが主なところだろうか。

そして、ネット上に出てきているいくつかの意見を分類すれば、以下のようになるだろう。

雷句誠は、陳述書にあるように、『少年サンデーのみならず、(株)小学館そのものと今後仕事をしない』と言い切っているのだから、③だろう。

新條まゆは、少女コミックだけではなく別の雑誌に移籍することも拒絶していることから察するに、小学館全般に不信を抱いているようだから③だろう。

松永豊和は 『一歩まちがえばオレは奴らをぶっ殺していた!刑務所送りにされてしまうほど精神的に追い詰められていたんだ!!!』というほどなのだから、③だろうか。

朝目新聞は『個人的には、酷い編集者がいるらしいのは確かとして、それが編集部のうち何割かによって話が変わってくるかと考えます。月光条例、金剛番長等良い作品も出てきていますし、これでサンデーという雑誌全体がダメと判断されるのは勿体ない話です。無論裁判で決着が着くべき件ですし、批判されている編集者には猛省が必要だろうと思いますが。』というのだから、①および◎だろう。

イン殺は雷句誠に理解を示した後に『現在のサンデー編集部にも見るべき人はいるわけで、だからこそ総論と各論は区別されなければならない』としているのだから、敢えていえば①なのだろうが、◎ですらないかもしれない。

さすがに現役の作家で出版業界全般に絶望した!という④の人は見当たらなかったが、ふつうの読者の中には、今回の事件を経て、出版業界全体に不信の念を抱くようになっている④の人も相当数いることだろう。

私に関して言うと、①と◎の両方に当てはまる。漫画家を圧迫し、混乱を招いた編集者がいることは多くの人がブログ等で証言するところだが、現在のサンデーの漫画が全部面白くないかと言われればそうでもないし、がんばっていて作家との信頼関係を築いている編集者もいることだろうと思っているから、②ではない。しかし、この事件の混乱を招いた編集者には強い不満があるから①にあたり、かつ、出版業界全体にこのような問題があるのではないか?と思っているから◎にも当てはまる。そして、この程度の考え方が人は結構多くいるのではないだろうか。

さて、④や③や②の人がどのようなことをするべきかは思いつかないが、①と◎の私が今後、何をするべきかについては考えることができる。①や◎の人は、騒動を通して、サンデーおよび出版業界において、漫画家を圧迫するような編集者が排斥され、かつ漫画家の創作環境が向上することを期待しているのではないだろうか(違ったらすみません)。

では、そのような目的を達成するために、①や◎の人がどのような行動をとるべきだろうか。

まず、②の人のように、小学館全体に強い不満があるわけではないのだから、小学館の出版物の不買運動によっては目的は達成されない。たとえば雷句誠の今度出るガッシュの最終巻を購入することは、それが小学館の売り上げに貢献することになるとしても、それは同時に雷句誠に印税収入をもたらすのであるし、①や◎の人の行動としては問題はないことになる。

また、①や◎の人は②の人とは違って、サンデーの編集者全般が嫌いなのではないから、サンデーの不買運動によっては目的は達成されない。サンデーの不買運動によって、一部の編集者の巻き添えとして善良な編集者や漫画家に混乱を与えることは合理的でないというべきだろう(そのような事態が生じてもやむをえないという見解もありうるが、私はそのようなことは望ましくないと思う)。若木民喜の『minna sunday wo misutenaidene』という文はまさにそのあたりを願ったものだろう。

((6月12日:追記)
雷句誠の以下のような発言があったから、サンデーの不買運動は、今回の事件の当事者、雷句誠の望むところではないことも明らかである。
『皆様から来るメールにて、「もう少年サンデーは買いません。」などのメールも多数(いや、かなりたくさん)来ています。しかし、それは困ります。…「少年サンデー」も、出来れば愛読していただきたいのです。藤田和日郎師匠を始め、自分の知る漫画家さんもたくさん描いています。自分のアシスタントをやってくれた子もがんばっています。(本当にみんながんばってるのよ。)どうか、この件で「少年サンデー」を見捨てる事はやめて下さい。平に・・・お願いします。』)


結局、①や◎の人が期待するような結末に不買運動によって導くことは難しいのではないだろうか(この問題は60年代の労働争議などと問題が似ている気がする)。

だが、読者には、何もすることができないわけではないだろう。別に難しいことをすることはない。ただ漫画出版というのが人気・不人気によって業績が左右される、という事実それ自体が行動の指針を示している。今回の騒動で圧倒的に読者の不満を招いた問題の編集者は、それ以上サンデーの編集職に就いていること自体がサンデーの人気を落とすのだから、サンデー編集部が合理的に考えれば、サンデーはその人気を維持するためにその編集者を編集職からはずすことになるだろう。つまり、不買運動をするまでもなく、読者群がただ自然な消費行動にしたがっているだけで、編集部は不人気を招く編集者を組織から自浄的に排斥するのではないか。そして、問題の編集者は、これほどの問題を起こしたのだから、近いうちに排斥されることになるだろう。

しかし、このような自然な経過に委ねるだけの措置では、このような事態が再び起こることを防ぐには不十分であるというべきだろう。情報が十分に公開されなければ、上に述べたように、作家に不当な待遇を与えていることが人気に反映されない。作家が不当な扱いを受けることを予防するなんらかの新しいシステムが必要とされているはずだ。

そこで私が考えたのが次のようなシステムなのだが…
要約するに、出版社の作家への関与が妥当でない場合には、その会社の出版物の人気が下がるようになるシステムだ。

行政機関や大企業が、その活動によって与える環境への影響であるとか、雇用している労働者の管理の適切性であるとかを公開し、外部からの評価を得るようなシステムを構築している。ドイツなどではポピュラーなシステムだ。評価するのは評価能力を有する機関であったり、市民であったりする。このシステムを出版社にも応用すればいい。

つまり、その出版社が適切に作家を扱っているか、その作家管理情報の内容を公開し、外部評価を受けさせるシステムが考えられる。漫画家への拘束の度合い、待遇、ひとつの作品に編集者が何人関わっているか、著作権侵害に対応できる体制をとっているか、などといった作家管理に関する情報を公開することになるだろう。そして、この作家管理情報公開評価システムにおいて、評価をするのは個々の読者だ。

作家管理情報を公開しなかったり、管理の内容が適切でなかったりすればその会社の出版物の人気が落ちるはずだ。およそ作家に不遇の扱いを与えている出版社の人気が高くなるはずはない。また、不適切な企業の情報はネット上であっという間に広がり、その出版社の人気を下げるようになるだろう。そして、仮に出版社が虚偽の管理情報を公開すれば、出版社と契約関係にある作家は、公開情報が事実に反するとして訴訟を提起するなり何なりのアクションを取ることができる。

以上のようなシステムが採用され、多数の出版社が情報を公開するようになれば、管理情報を公開しないことそのものが不人気を招くことになるので、出版社の側は情報公開および作家の待遇改善に強く動機づけられることになる。そうすれば、読者の自然な消費行動が作家の待遇改善に結びつくようになることだろう。

追記:
今回の事件に関して、現在、明らかに足りないと思われるのは、情報公開だ。情報公開をしないから一方当事者の主張のみから憶測が一人歩きするのであり、それは情報公開を今のところ行っていない小学館にとって好ましい状況ではないだろう。少なくとも、無根拠な憶測が飛び交う状況は情報公開を行うことで改善されるはずで、それは小学館にとって利益となるはずだ。

(6月12日追記:
 小学館のHPに、今回の事件への反応が掲載されていた。訴訟の一方当事者の意見だけでなく、相手方がどのように対応していくつもりか、ということの情報が与えられることで、事件の報道に触れる人色々と考えることができるのだから、少しではあるが小学館の今回の事件についてのスタンスが明らかにされたことは非常に意義のあることだと思う。法廷での弁論についても注目していきたいところだ。)

雷句誠と小学館は和解しないだろう

雷句誠先生の訴訟を提起する以前に、なぜ和解が行われなかったのか、と聞かれたので、私の推測するところを答えたい。

おそらく、訴訟を受ける小学館としては、和解をしたかったのだが、できなかったのだ。

少なくとも、今回のような訴訟があることを知っていたとすれば、小学館側が和解しようとすることは確実だろう。なんといっても悪い宣伝になるし、賠償金額も大した額ではないからだ。

そして、前々から雷句先生はブログで小学館の仕事は今後受けない、と発言していたのであり、原稿紛失などでもめていた当事者である小学館としては、雷句先生から訴訟を起こされることはおそらく予見できていたはずだ。

もっとも、小学館は、雷句先生側が、今回の事件のように、ネット上で大いに話題となるような態様で小学館への訴訟を提起するという事態が生じることを予測していなかったため、雷句先生との訴訟による影響はかなり限定されたものだと考えていたとか、あるいはそのような事態が生じたとしてもこれほど話題にならないだろう、とたかをくくっていたのかもしれないけれど。

しかし結局、裁判外での和解はなされず、現実に訴訟は提起された。そして大きな(多くは小学館にとっては不本意な)話題を呼ぶに至った。

どうも、和解が成立しなかったのは、雷句先生の側に、損害賠償を求める以外に、訴訟提起自体によって漫画家の待遇を改善しようとする目的があったためと思われる。『本訴は、漫画家が、編集者、出版社から、あまりにも対等でない扱いを受け続けていることに対して、一種の警鐘を鳴らすものである。』などといった訴状の記載、賠償金額の低さなどがそれを示しているように思われる。

また、出版がらみの訴訟は一般にこじれやすいということも指摘される。

以前、ある知財弁護士の方が『どうしても著作者人格権がらみ、出版がらみの訴訟は離婚時の子供の親権訴訟みたいになってきてこじれやすくなっちゃうんだよね。作者にとっては作品や版権ってまさに苦労して生んだ子供みたいなもんだし、それは出版社にとっても同じだし、お金も絡むし』と嘆かれていたことを思い出す。私は作家でも出版社の社員でもないが、その気持ちはよくわかる気がする。



…そんなこんなで、結局、訴訟は提起されてしまった。これからは訴訟でいろいろなことが明らかになってくることと思われる。今まで雷句先生に言われっぱなしだった小学館側の言い分に注目が集まるところだ。

ところで、雷句誠先生と相対する小学館の側は、訴訟となればかなり優秀な代理人を連れてくることと思う。

というのも、小学館の久保雅一キャラクター事業センターセンター長(この人は昔コロコロの編集をやっていた人であり、ポケモンをアメリカに売りに行った人である)はエンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワークというNPOの理事を勤められており、当然、弁護士のつながりも豊かだろう。弁護士報酬をけちらなければ、国内でも選りすぐりの弁護士を連れてくるはずである。

もっとも、この訴訟で小学館が争っても得られるものは限られており(もともと雷句先生の側が求めているのは300万円ほどの賠償金に過ぎない)、争点も限定的であり、ブログ上で小学館の編集者をあしざまに罵ったということで名誉毀損か何かで別訴や反訴を提起でもしない限り、弁護士の腕が発揮されるような争点が顕出されるとも思えない。だとしたら、弁論では請求原因についてはすぐ自白し、とっとと判決を求めることに力を注ぐかもしれない。

(7月28日追記:
小野弁護士のブログによれば、今日行われた第一回口頭弁論で、小学館側は、原告側(雷句先生側)の請求につき、事実を認めるという態度を示したというので、結局、上記の『弁論では請求原因についてはすぐ自白し、とっとと判決を求める』というタイプの方策を採ったようだ。

小野弁護士は『潔いというか、そう答弁するしかないというか、拍子抜けというか、何とも複雑な心境ですが、答弁そのものには誠意が見られたと思います。』とコメントされているが、ここ一ヶ月ほどの間、いかにこの訴訟の提起そのものが話題を呼んだかということを考えてみると、小学館が今回取ったこの方策が、訴訟にケリをつけるための方策としては一番てっとりばやくて簡単で遺恨を残さない方策だ、ということは多くの人が認めるところだと思う。

私は、小学館はもう法廷にも出てこないで調書判決になったりするんじゃないかとか、いろいろ考えていたのだが…そんなことはなかったのだね。

今後について小野弁護士は『雷句さん自身が後に続く漫画家のための道しるべになるべく本訴を提起した目的も果たせなくなってしまいますので、本件和解の内容が、後に続くリーディングケースになるような内容の和解内容にしたいと思っていますし、そのために知恵を絞っていきたいと考えています』とされているので、裁判外だけではなく、雷句先生・小学館の双方の間で、訴訟上、訴訟外でもなんらかの交渉が引き続き行われることになるのではないかと思う。『後に続くリーディングケースとなるような…』というのが若干曲者ではないかと思うけれど、事実について争いがなくなったなら交渉もきっとスムーズに進むことだろう。

この訴訟は漫画家にとってのリーディングケースとなっただけでなく、出版社の側にとってのリーディングケースにもなることだろう。そして、訴訟なんて長引いてもいいことはないので、今回の訴訟は雷句先生側、小学館側にとってもよい結末が導けそうだと言えるのではないだろうか。

…しかし、一ヶ月以上前につけたこの記事のタイトルは大外ししたことになるなあ。雷句先生が労働関係訴訟のごとく、徹底的に闘争することで今後の漫画家・出版社間のリーディングケースになろうとしているのかと思っていたんだけど、小学館側の譲歩によって、まぎれもなく今回は和解の一種が成立することになるんだろうからなあ。雷句先生を応援する人が多かったことが、小学館側のこの結論に至るまでに大きな影響を与えていたのだろう。雷句先生の勇気ある提訴がよい結果をもたらしたことはもちろんだけど、小学館が空気を読んだことも重要なケースだったようだ。

というわけで私の予想は大外ししたわけですが、あえて消さないでおきます。恥ずかしい。

罪滅ぼしに、早いうち、雷句先生が次の作品に取り掛かれるようになり、また、小学館の知的財産権等の管理体制が向上するように祈っておきます…)

対して、雷句先生の側の代理人、小野智彦弁護士は、私は知らない人だった。ただ、調べてみたところ、ブログをお持ちで、手品用に日本のコインを加工することが貨幣損傷等取締法違反になるかという事件だとか、それに関連した訴訟としてテレビで手品の種明かしをしたことが不法行為に当たるかという事件だとかを扱われた方のようだ。けっこう変わった事件を好んで扱っていらっしゃる方なのか、それとも来るもの拒まずなのか、あるいは私が知らないだけですごく有名で優秀な方なのか。そして雷句先生とはうまく訴訟で協同できる方なのか(依頼者と代理人がもめるケースも多いが大丈夫だろうか)。

個人的には、小学館の法務・ライツ局は、雷句先生との訴訟に訴訟費用をかけるのではなく、エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワークの人脈を活かして社内の知財管理体制整備の専門家を雇って、出版社によくありがちな契約の不備や著作者人格権保護不備を防ぐためのシステムを構築することにお金をかけてほしい。そしてそのノウハウを他の出版社にも伝えてほしい。マスターキートン事件の二の舞はもうたくさんなんだ。

(そして、おそらく本件では和解はなされないであろうことを考えれば、『金色のガッシュ!!』が絶版になる可能性も高い。版権は雷句先生の次の仕事先の企業に移されるだろうが、新しい版の単行本になるにあたって、本の内容が少し変わったりするかもしれない。記述が増えるのは歓迎なのだが、新しく版を作り直すに当たっては、しばしばおまけ的な部分が削られることも多いことから、不安もある。小学館からは愛蔵版なども出ないだろうから、愛蔵版待ちの人はとっとと買ったほうがいいだろう)

追記:
ふと思った。出版社は週刊誌の記事などについて名誉毀損で訴えられることに慣れていると思うが、名誉毀損で訴えることには慣れているんだろうか?慣れているとしても、いつも名誉毀損スレスレだったり名誉毀損そのものだったりといった行為をしている出版社の側が、名誉毀損で訴えを起こしたとしてもあんまり説得的な訴訟はできなさそうな気がする…だとすれば、小学館の側が名誉毀損の訴訟を起こす可能性はかなり低そうだ…。

雷句誠問題が示唆する今後の漫画家・出版社の関係について

雷句誠の訴訟は漫画家・出版社との関係に大きな影響を与えることは間違いないだろう。

彼のブログ上での小学館で受けた扱いに対する発言等から、彼の訴訟の主目的は賠償金を取ることではなく、漫画家の待遇改善への問題提起であるらしいことが読み取れる。

つまり、漫画家の待遇改善を出版社に対して求める…いってみれば、福祉のレベルを上げるために行われる行政訴訟にも似た構造になっているようだ。

この訴訟を受けた出版社側のアクションとして、漫画家への待遇を向上させようとする試みが取られることはおそらく確実だ。もっとも、あるべき改善の具体的な内容については訴訟の文書からは明らかになるものではない。

しかし、何らかの改善がなければこのような訴訟は今後も頻発することだろう。

では、どのような改善策がありうるのか。

以下、『シンプルなプラン』と『ドラスティックなプラン』の二つを考えてみた。

シンプルなプランについて

このプランはごく常識的な対応策を並べたものだ。
漫画家の原稿料を上げ(一枚10000円からというのはあまりにも安い)、あるいはアシスタント等の雇用について補助を出す、などといったことが考えられる。

もっとも、サンデーは漫画の連載開始時にアシスタント雇用のための費用を支給し(ているらしい)、また、ジャンプと違って長期的なスパンで作品の連載期間を設定している(直截的にいえばすぐに漫画家の首を切らない)ため、原稿料という短期的なコストは低くても、長期的なコストをかけている。これを変更して、短期的なコスト(この場合は原稿料)を重視することにすれば、とりあえずコスト配分は現状から変更できることになる(要するにジャンプ方式に転換されることになる)。

ドラスティックなプランについて

このプランは漫画家の福利厚生を特に重視するものだ。形態としては、欧米的雇用形態といえるかもしれない。

漫画家を出版社の社員として雇用するのだ。アシスタント人員としては、同様に出版社で雇用されたスタッフが参加する。漫画家は漫画を注文される立場ではなく、一人の(あるいは複数の)漫画家をリーダーとし、部下を有する組織、つまり出版社の社内の一部署として漫画を生産する組織の一部となる。既存のものとたとえれば、メーカーの商品企画部と開発部をあわせたものが編集部となる。商品企画部の社員が出版社の編集部員、開発部のエンジニアが漫画家にあたることになる。

この場合、漫画家に支払われる印税というものは、たとえばメーカーが社内発明を行った技術者に対して与える奨励金のようなものとして処理されることになる。原稿料は単なる月給になる。あるいは、著作権は法人著作として処理されるようになる可能性が高い(法人著作として処理されるようになった場合、既存の著作者人格権に対する事務処理方式が妥当しなくなると思われる点に注意を要する)。

漫画家の雇用開始は漫画賞への投稿あるいは持ち込みによってではなく、専門職試験ないしはコンペティションで任用を決定されることになる。

また、漫画家の部下として雇用されているアシスタントは経験をつみ、あるいは才能が認められればひとつの連載企画を担当するリーダーとなるだろう。たとえば『かってに改造』プロジェクトのスタッフの一員としてクメタ課長の下で働いていたハタ係長が新しく始まるプロジェクト『疾風のごとく!』のプロジェクト長に任用される、といったように。

漫画家は会社の事務所やスタジオで仕事をすることになる。一般に漫画家は残業の多い仕事だろうが、そのコストは残業代というかたちで賄われることになる。

漫画家の業績が悪ければプロジェクトは終わらされ(つまり連載は終わらされ)、次のプロジェクトへの企画を立てるか、あるいは他の部署、営業部や広告部などへの異動が要請されることになるだろう。そこでも漫画家の才能は生かしうるだろうし、それに不満があれば同業他社へのリクルート活動を行うことになる。その際旧来のプロジェクトでのスタッフを新しい社に連れて行くかは新しい社との雇用契約による。

漫画出版社に特有の編集部と漫画家の軋轢は、ごく普通の会社における商品企画部と開発部の軋轢のようなものに変わる。少なくとも、両者は対等の立場に立つことになる。

…このような雇用形態は欧米における社内弁護士や会計士などといった専門職の扱いに近いものがある。あるいは優秀なエンジニアなど。

このプランのメリットは、漫画家およびアシスタント達を社内に抱え込むことで漫画家の雇用が安定し、漫画家たちの将来への不安が軽減されることであり、デメリットは漫画家の雇用が停滞し、漫画家がサラリーマン化することである。浮き沈みの激しい漫画業界で、漫画家が今まで背負ってきた打ち切りリスクを出版社が抱えるか、あるいは不人気な連載がだらだら続けられるようになる可能性もある。

しかし、このメリット・デメリットは、雇用形態のシステムを改善することのみによって(つまり新たなコストを負担することを拒否しつつ)今回の問題を解決しようとすれば、どちらかのデメリットが現れることは避けられないものである。

追記:
仮に上記の『ドラスティックなプラン』が採用されたとすれば、漫画制作は一種の工場での作業に近いものになることだろう。プロジェクトのトップは別論、アシスタント人材資源は社内で停滞し、プロジェクト間では流動化すると考えられる。

例えていえば、『月光条例』プロジェクトに参加していたアシスタントは社命に応じて『ハヤテのごとく!』プロジェクトに異動することがありうるが、『かってに改蔵』プロジェクトに参加していたアシスタントが社を飛び越えて『さよなら絶望先生』プロジェクトに参加するようになることは今までより難しくなるだろう。

だが、それが良いことなのか悪いことなのか、判断材料がないのでなんともいえない。徒弟制に近いような旧来の方式が良いのか、アシスタントはどのような絵の漫画家の下でも作業できるべきなのか、という問題に関わる。

雷句誠の訴訟を訴状等から分析してみよう

『金色のガッシュ!!』で有名な雷句誠先生が小学館を相手取って訴訟を提起したことがネット上で話題となっている。雷句誠先生のHP上で訴状等が公開されているので、その内容を分析してみよう。

一、陳述書の内容について

おそらくこの陳述書は雷句先生が書いたものなのだろう。文章の最初のほうではですます調なのが、後半になるにつれて、である調になったりしていて怒りの度合いが伺える。

陳述書は、訴訟の請求原因などに直接関わらないことでもとにかく訴えに至るまでの経緯が読者に伝わるように書かれるためのものなので、『私はこれこれの理由で怒っているのです』ということがはっきりと読み手に伝わるこの陳述書は、なかなかよくできているといえるだろう(もっとも、小学館側から提示された50万円という償金の内訳に不信を抱いておられるようだが、そのへんのくだりは不用だったかもしれない。常識的に考えて『賠償金』というのが紛失した原稿そのものへの対価で、『補償金』というのが精神的な慰謝料の意味で、50万円とキリよくした、ということだろうし、訴訟にもあまり関係がない)。

後に述べるように、この訴訟の請求原因は債務不履行(原稿の取り扱いに関して締結された、漫画連載契約及び出版契約に付随する契約かと思われる(寄託契約としていたところをコメントにて指摘を受け、6月24日改める)契約に基づく善管注意義務違反という債務不履行)による損害の賠償請求および(原稿を紛失するという不法行為による精神的損害についての)慰謝料請求であるから、この陳述書で述べられた「いかに小学館が自分を今まで苦しめてきたか」という文章は特に慰謝料請求の部分で斟酌されることになる(原稿を紛失するという不法行為による精神的損害がこの訴訟で請求されている損害賠償の内容だが、それに至るまでの経緯も裁判官の心証としては斟酌されることだろう)。

(無償寄託契約の場合について検討していたが、商人たる小学館がその営業として行っていたものだと考えられる、とのコメントでの指摘を受け、善管注意義務が課されない無償寄託契約とされる可能性はないものと判断し、6月24日、当該部分を削除した)

二、請求の趣旨について

請求の趣旨というのは、裁判所にどのような判決を求めるか、という部分だ。
今回の訴訟では以下のようになっている。

 1 被告は、原告に対し、金300万円及びこれに対する訴状送達日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 被告は、原告に対し、別紙絵画目録記載の絵画のポジフィルムを引き渡せ。
 3 訴訟費用は被告らの負担とする。
 4 第1項につき仮執行宣言

請求の趣旨について目を引くところは、1の300万円の請求と、2のポジフィルムの引渡しだろうか。
順に検討しよう。

①まず、請求の趣旨1から。

請求の趣旨1の300万円の内訳は、原稿の取り扱いに関して締結された、漫画連載契約及び出版契約に付随する契約(寄託契約としていたところをコメントにて指摘を受け、6月24日改める)に基づく善管注意義務違反による損害150万円の賠償請求と精神的損害150万円の慰謝料請求である。

まず、原稿紛失それ自体の損害の検討について。一応、訴状においては『原稿についての寄託契約』(単に寄託契約としていたところをコメントにて指摘を受け、6月24日改める)違反ということになっている。漫画の原稿については作家の持ち物であって、出版社はそれを預かっているだけということになっているらしい。もしかすると、出版社の側は、預かったのではなく原稿については買い取ったものだということを主張するかもしれないが、慣例として原稿を返却することになっていたようだから、出版社の側が返還義務を否定したとしても、認められがたいだろう。また、今回の寄託契約が善管注意義務違反を導くものであったかどうかという問題は被告側の答弁などを通して明らかになってくることだろうから、ひとまずさておこう。

おそらく、重要な争点となるのは、原稿紛失の損害が150万円を下らないものであるかどうか、ということだ。5枚のカラー原稿はそれぞれ30万円の価値を持つものであるか、ということだ。マニアである私からすれば、作者直筆、実際の本にも使われた原稿が一枚30万円というのは、当然そのくらいするだろうなあという気がするのだが、小学館側の弁論を経た上で、裁判所がそれを認めるかどうかは別問題だ。一枚30万円の絵画というと、そうありふれたものではない。生原稿の市場というものがどのように形成されていて、どのように価格が判定されているものなのかなどを含めて、原告としては困難な主張立証課題が課されることになるだろう(訴状によると、ヤフオクでの実績などから判断しているようだが、どんなもんだろう)。しかし、原告側の代理人のがんばりによってはもうちょっと高い金額設定もできた気がするのだが、どうだろう。もっと事前に宣伝をしておいたうえでのオークションとか、なんらかの実績をあらかじめ作っておけば、あるいは…。

次に、精神的損害への慰謝料について。

150万円という額が適切なものかどうかが争われることになるだろう。精神的損害というものには算定基準などもなく、その額の内容は裁判官の心証で決まってしまうので、これは訴訟が起こされてみないと結果がわからない。しかし、150万円ぐらいならそう高いハードルではないかもしれない。著作物というものは財産的価値とともに著作者の人格的な価値をも有するものであることから鑑みれば、命を削って書き上げた原稿を紛失したことによって大きな精神的ショックを受けるという主張がなされたとしても不合理ではない。

以下、私の意見としては:
全体に見て、この300万円という請求は随分安いように感じた。代理人が弱気だったのか、それとも『請求が満額、認められました!』といった形で精神的な部分での勝利を求めているのか、それとも雷句先生が忙しいのであんまり金額の内容には興味を持っていなかったのかなんなのか。

私の考えでは、おそらく小学館に勝つこと自体が雷句先生の目標になっているのではないだろうか。小学館に勝つことで小学館との決別をはっきりとしたものにしたかったのではないだろうか。そして新しい場所での仕事を確実なものにしたかったのだろう。

だとすると、小学館との和解が成立する可能性は、残念ながら、そう高いものではなさそうだ。しかし、小学館は、300万円ちょっとぐらいのコストなら、この訴訟によって引き起こされる自社への信頼の低下という損失と比較してもそう大きくないと判断して、すぐに訴訟を終わらせようとするのではないだろうか、どうだろう。

また、前述のように、著作物である原稿の紛失が人格権上の問題ももたらすことからすれば、また、陳述書にあるように小学館の編集者から色々と腹ただしい扱いを受けてきたというのであれば、謝罪広告等を出すように請求したりしないかなあ、などと思ったが、そのような請求はしていないようだ。

②次に、請求の趣旨2について。
ポジフィルムの引渡し…これが行われるとどうなるのか?
訴状の記載によれば『ポジフィルムがなければ、同一のマンガを出版することができないことは言うまでもない。』…ああ。出版が不可能になるのか…。これが容れられるかどうかも問題になりそうだ。

三、出版社に与える影響について

出版社は、他の業種と比べると…いや、比べ物にならないくらい、契約関係は非常にルーズに処理されている。たとえば自動車メーカーなどのの知的財産処理の現場とは比べ物にならないくらい著作権処理がルーズなように思える。出版社に熟成された伝統というか慣例なのかもしれないが、それによる弊害というのはかなり大きいのではないだろうか。

そういえば、福満しげゆきの『僕の小規模な生活』の中でも、モーニングとの間の連載が決定したのかしていないのかはっきりしなかったがために、福満しげゆきが困る、みたいな話があった。もしも連載の決定という重要な決定に際しては書面を取り交わすなどして、契約関係を厳密なものにしておけばこういった行き違いというのは無くなるはずだ。それについてそう多くのコストがかかるわけでもないだろうし、すぐできることだろう。そして、これは出版社全般についていえることだが、事業規模及び社会に対する影響に対しての法務処理に割かれるべきコストがあまりにも低くおさえられているように感じられる。ただでさえ、著作者と出版社がもめることは少なくないのだから。『マスターキートン』の事件とかもそうだったなあ。

四、漫画家に対する影響について

このケースが後々の漫画家にどのような影響を与えるか?この訴訟によって、一つの前例が作られることになるのは間違いない。しかし、その前例の射程となると、かなり限られたものになりそうだ。

雷句誠先生は小学館漫画賞を受賞され、アニメもグッズもヒットしていた。つまり、サンデーに連載を持っていた漫画家のなかでも、ずいぶん成功した漫画家なのだ。雷句先生は訴訟の意義として「弱い立場にある漫画家の権利のために」ということを強調されるが、ごく普通の新人漫画家の待遇がこの訴訟によってどれだけ改善されることになるかどうかは、未知数だ。

だが、少なくとも、いくつかの事実上の影響を与えることにはなるだろう。原稿管理体制はより丁寧なものになるだろうし、法務体制ももう少し綿密なものになるだろう。新人の原稿料ももう少しあがるかもしれない。

五、一読者としておそれていることについて
『金色のガッシュ!!』が絶版になること。作者や出版社とのごたごたで作品が市場に出なくなるのは悲しいし、著作者としては印税収入を得る機会を、出版社としても営利の機会を喪失する現象であるから、誰も得をしない結果になってしまう。そして読者も作品に触れる機会が少なくなるわけで、特に「ガッシュを読み返そうかなあ」などと思ったときに注文しても手に入らない、というのは悲しすぎる。

追記:
訴状には代理人の名前は書いてあるので、誰が代理人となっているかを知ることができる。豊島法律事務所の小野智彦…どこかで聞いたことがある気がするが、どこで見たかは思い出せない。何か別の事件で見たような…

それはともかく、豊島法律事務所の小野智彦弁護士ってどんな人だろう、と思って調べてみていたらこんなページがあって、小野弁護士が以下のような発言をされていた。


小野 クライアントに心を開いて頂けるように私は聞き役に徹して、じっくりとお話に耳を傾けることです。その中で解決の糸口を見つけていくのです。そして、なるべく訴訟にまで発展させず、和解へと導くようにしています。問題が起こった当初は、クライアントの感情は高ぶっていますからまずはそれを落ち着かせることが肝心ですね。弁護士の仕事は、物事の白黒をつけることではなく、紛争を収めることだと思うので、互いが納得して和解できれば、それが理想の形ですね。


どうも、小野弁護士は和解に積極的な方針を採っているようだ。これが訴訟にどのような影響を与えるかはわからないが。

負犬公園で出会ったナギとはアーたんとの出会い方はかなり違うなあ

皆様、お元気ですか?私は今さっきサンデーを読んだところです。先週からのいわくありげで意味ありげで面白げな引きに気を持たされてワクワクしつつ今週のサンデーを待っていたので、いつも以上に今週のお話は一気に読みましたよ。短い話だったけれども。いやあ、面白かったですよ。どんぐらネガティブな話だったらどうしようと思っていたのですが。あまりにもひどすぎる父親という艱難、それによる絶望、しかし手を差し伸べられたという歓喜!というのは『艱難を経て宇宙へ!』という宗教劇の形にも似て恩寵ありげ。

それにしてもハヤテの父親は人間としてひどすぎますね。その悪さ、想像以上のものがありましたよ。そして『そんなヒドい事…僕しないよ!!僕…僕…』って泣くハヤテが少年誌の枠組みを超えてかわいそうすぎる。私はなんでかは知らないけれども泣きじゃくる男の子に弱いのですが、15ページから17ページのハヤテの泣き様は私の琴線に触れました。しかし何なんでしょう、読後に残るこの後ろめたさは。私がハヤテをいじめたわけでもないのに。罪の意識が。

ハヤテの父親は『ダメ人間』とかではなくてこれじゃ単なる『犯罪者』ですよ。たぶん常習犯っぽいので常習累犯窃盗ですよ。しかも幼稚園の子供のお金を盗むとは。小さい子供に万引きさせる親レベルの悪人ですよ。ハヤテが毛嫌いするのも分かりすぎるというか。ハヤテはこの父親の子であることを呪っていることでしょうね。しかし、なんでハヤテの父親はネクタイ締めてるんでしょう。岸和田のヤンキーとかとは一線を画した職業的意識のある悪人なんでしょうか。

しかし、この世のものとは思われぬようなきれいな花園でアーたんに手を差し伸べられてハヤテ良かったねの巻。このカラーの情景が素晴らしいと思います。さすがカラーページだ!BSの絵の白銀色もいいですが、私は黄金色が好きです。周りに咲いている花は何でしょうか?ユリみたいに見えなくもないですが、ちょっと違うようですね。あとユリだとこんな花畑にならないでしょうし…

そして、今まで謎に包まれていたキャラだったアーたんが今回初めて全貌を表しましたよ。見るからにええとこのお嬢さん風な縦ロールで、ハヤテにはやっぱり金持ち少女に助けられる因縁があるのかという運命的なものを暗示させますね。

しかしナギと出会ったのが『負犬公園』なのと比べるとずいぶん出会いの情景が異なりますな。かたやこの世のものとは思われぬほどのお花畑、かたや寒風吹きすさぶ『負犬公園』…昔のハヤテは悪人の父からの逃避の果てにたどり着いた場所だったのに比べてナギと出会った時のハヤテが自ら悪になることを決意した者だったという違いがあることも大きな違いだといえばそうですが。

今週の引きも来週へと続く不穏(でもないか)な空気をかもし出して次週への読者の興味を持続させるつくりになっていますね。話しはお花畑で続くのか、それとも場面は転換されるのか。お花畑で買わされる会話の始終というのも見たい気がします。

あと、今週はハヤテのごとく!が表紙でしたね。この絵も爽やかで好きでした。モチーフが少女漫画っぽくなくもないですね。ナギの背がなんか伸びたような気がしますが成長期なのでしょうか。大事に保存しますよ。雑誌の表紙になったときの絵とかはカラーでコミックスに載ったりしないから、ファンとしては要保存ものですね。単行本派の人にも『ぜひ今週のサンデーは買うように』と伝えたいこの気持ち。

テーマ:ハヤテのごとく! - ジャンル:アニメ・コミック

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