ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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ここは一つ『出版社主観説』を提唱したい

非常に面白い記事があった。『ライトノベルの定義を法律の学説っぽくまとめてみる』という試みだそうだ。一応日々書籍に関わっている身、ラノベについては門外漢としても、こういう試みが大好きな私は、これに倣って説得的な新たな学説を打ち立てたい。

さて、記事の引用元では主要な学説として読者主観説、作者主観説、形式的客観説、実質的客観説などが挙げられているが、私がこれら旧来の学説について不満を覚えるのは、これらの学説がいずれも出版社の存在について触れようとしていないところだ。客観説の立場において若干レーベルという形で出版社とのかかわりを見出すことができるかもしれないが、書籍に対して出版社が与える影響というのは、レーベルの枠組みでのみ考えるべき事象ではないだろう。より広範に出版社の影響力を見出している私は、ここに『出版社主観説』を提唱するのである。

さて。出版社主観説とは何か。この説が前提とすることから述べよう。

まず『なぜ書籍が出版されるのか』ということから考えてみたい。『作家がいて、読者がいるから』。基本的には、これで正しいだろう。同人誌とかならこれで完全に説明がつくはずだ。だが、現在の出版を取り巻く状況を観察すればわかるように、出版社は単なる印刷工場にとどまる存在ではない。本は作家から原稿を持ち込まれて出版されるだけでなく、出版社の側が書籍の販売を企画し、その後に作家に執筆を依頼することがほとんどだと言えるだろう(特に講談社はその傾向が強いらしい…実際のところは知らないけれど)。つまり、出版社の側が「こういうレーベルで、こういう装丁で、こういう価格帯で、こういう感じな本を作りませんか?」と作家に申込み、作家の側がそれを承諾することによって一つの企画がスタートラインに着くのである。スタートラインが決まれば、あとは基本的にそのラインにしたがって事態が進む(執筆してもらう)だけだ。

だとすれば、書籍の性格付けは最初の企画段階…レーベルや作家や挿絵画家や装丁や価格帯等の決定時において既に決められているものだといえる。ここで、書籍の『性格』とはその本の持つ要素に他ならない。例えば、ライトノベルならライトノベルの性格を持たされるのは、この性格決定がなされた段階だといえるだろう。

そんな書籍の性格付けについてフェイタルな決定を行う出版社にこそ注目してしかるべきではないか?というところのが出版社主観説のキモというワケだね。

以上のような前提を基にした出版社主観説は『出版社がライトノベルとして出版したものがライトノベルである』とする説、と一言で言えばこうなるだろう。形式としては作り手側の主観が考慮されるということで、作家主観説、またレーベルなどという形で出版社の意図が通常現れてくるものだから形式的客観説にも類似する。

だが、その結論は結局実質的客観説と同じようなものに落ち着くことと思われる。ライトノベルを作ろうとすればライトノベルレーベルで出版し、ライトノベルっぽい装丁にし、ライトノベルっぽい広告を打ち、ライトノベルっぽい営業をするのだから、結局形式的な基準に『他の基準(読者層やカバーイラストなど)』が事実上、反映されたものになることだろうと考えられるためだ。しかし、実質的客観説や総合判断説とは異なり、出版社の内部資料などを検証すれば、その書籍がライトノベルに当たるか否かがはっきりと分かる点がこの点の特に優れた点だろう。


なお、この学説は別に何がライトノベルか、ということだけではなくて、一般にこれは何というジャンル(性格)に分類される本であるか、ということを評価する際の基準となる学説であると言えるだろう。小説だけではなく、企画書が作られるものであれば漫画や映画、アニメなどにも応用が利く。例えば萌え漫画が作られるのは出版社側が『萌え漫画を作ろう!』という企画を立てて作家を選び、連載をスタートさせることによって作られるのだし、『熱血ロボットアニメを作ろう!』と思えばやっぱり熱血ロボットアニメの作成がスタートさせられることになる。

だから、ある本を指してそれが出版社の担当編集などに「これってライトノベルですか?企画書を見せてもらえませんか?」と聞けばはっきりした答えが得られるはずだ。もっとも、彼らが正直に答えてくれるとは限らないし、また、企画書もそう簡単に見せてもらえるものではないのだが。しかし、なお潜在的にはそのような形で検証される余地が残されている点を指摘するべきであり、かつそれが重要なものだといえるだろう。

この説の難点として、出来上がった作品が出版社の当初の意図とは違ったジャンルに収まってしまったケースの説明が困難な点がある。

例えば、当初はスポーツ漫画を作ろう!という意図のもとに連載がスタートされた『南国アイスホッケー部』がスポーツ漫画だというのは、やはり無理があるのではないだろうか。この辺、検討の余地がありそうだな…連載の場合はある程度継続した形で『出版社がその作品についてどのように関わろうとしていたか』ということを検証の内容とすることができればいいのだが。

とりあえず、こんなところか。学説の改善のため、皆様の意見をお待ちしています。
…やっぱりこの説には多少の無理がある気がする…新しい学説を作るのって難しいのだな。
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