ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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児童ポルノ法をめぐる議論について

最近気になっていることがある。児童ポルノ法の改正如何だ。

改正の内容に関する議論については、ここでは触れないでおこう。長くなりそうな気がするからだ。私が問題としたいのは、議論そのものの方向についてだ。最も議論されるべきことがら、その刑事政策的な意義についての議論がほとんどなされていないような気がする。

児童ポルノ法(以下、本法)が関わる問題は多岐にわたるため、以下では、今一番問題となっている『被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化すること 』の刑事政策的な意味如何について述べたい。

本法の目的はその第一条に規定されている(戦後の法律は大抵目的を第一条に持ってきている)。
それによれば、この法律の目的はこうだ。

『第一条  この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする。 』

つまり、目的は『児童の権利の擁護に資すること』であり、その手段として『児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定める』、と宣言しているわけだ。「準児童ポルノ」を違法化するとすれば、この目的『児童の権利の擁護に資すること』に適合することが求められることになる。

では、目的のために手段は適合しているのか?

この点、「適合していない」ということを主張するとすれば、例えば次のように述べることになる。

『この規制のベースは、「性的虐待の表現を目にすることで、人は性的虐待に走るようになる」という思想が感じられるが、果たしてそうだろうか。これは、本来逆の話だ。つまり元々そういう性的指向のない人は、いくら児童の性的虐待表現を目にしても、ただ嫌悪感を感じるだけである。一方実犯罪に走る人は、別にこういった表現があろうとなかろうと、何かのきっかけで引き金は引かれるのである。』
小寺信良『「児童ポルノ法改正」に潜む危険』三ページ目より引用)

つまり、性的虐待表現を含む表現物を好む人は元々そういった表現を好んでいて、それゆえに性的虐待表現を含んだ表現物を買い求めたりするのであって、そういう嗜好のない人はそもそも買い求めたりはしない、ということが述べられている。(…①)

これとは逆に、「適合している」ということを主張するとなれば、①とは逆に『元々そういう性的嗜好のない人であっても、性的虐待の表現を目にすることで、人は性的虐待に走るようになる』(…②)ということを述べる必要があるだろう。

さて、ではこの①、②の二つの意見はどちらが実態に即しているのだろうか。新聞なんかに掲載される識者の意見、なんてやつだと②の意見が多く、ネットユーザーの意見としては圧倒的に①の意見が多いだろう。そしてこれらの意見が提出される議論はいつまでたっても平行線で、見解は交差する点を見出す余地がないようにも思える。

だが、意外とつながりがあったりするのではないだろうか。つまり、実態としては②だけではなく①(あるいは①だけではなく②というべきなのか)の要素もあるのではないだろうか。

まず、そもそも興味のない分野の本を買い求めたりすることはない、という①については経験的に容易に検証できる。例えば私はいわゆるヤンキー趣味は持ち合わせていないので地方のコンビニエンスストアに行っても『チャンプロード』を手に取ったりはしない。別に釣りの趣味はないので図書館に行っても『近畿の鮎釣り』などといった本を借りたりはしない。私はミステリー好きだが、ミステリーに興味のない人は本屋に行っても『ミステリガイド』を手には取らないだろう。

では、②についてはどうか。①を踏まえて考えれば『元々そういう性的嗜好のない人』が『性的虐待の表現を目に』し、かつ『性的虐待に走るようになる』ということはレアケースのように思える。だが、次のようなことは言えないだろうか。

まず、本や漫画に触れることでなんらかの影響を受けることは、経験的に、よくあることだと問題なく言えるだろう。

また、例えば、何かの趣味Aを始めた原因として、『特にAに元々趣味があったワケじゃないけど、Bを扱った本を読んでたらちょっとAのことが出てて、それで気になったんだ』、みたいなことをいう人は多いと思う。従来有しなかった嗜好が新たに本や漫画の影響で形成されるに至ったケースである。具体的にはスパイ物の映画が好きだった人が、映画の中に出てくる銃がかっこよく思えてガンマニアになったり(私がそうだ)、普通の少女漫画が好きだった人が、漫画の中に出てくるちょっとしたボーイズラブ風の描写に魅かれて、本格的なBL好きになったり(知人がそうだ)、普通の漫画好きだったがマガジンに掲載された『ラブひな』を読んでいるうちにアキバ系の趣味に興味を持ち出したり、普通の漫画好きだったがサンデーに掲載された『かってに改蔵』を読んでいるうちにアキバ系の趣味に興味を持ち出したり…

…なんだかあんまりポジティブに捉えられないような嗜好の形成についてばかり具体例を挙げたが、「『スラムダンク』をヤンキー漫画だと思って読んでたら、しっかり立ち直った三井の姿に感動してヤンキーをやめた人」なんていうケースも勿論あるだろうから、本や漫画が与える影響について否定的な印象ばかりをもって捉えることはないだろう。

ただ、ポジティブな影響を与えることがあることが認められるとすれば、同時に、ネガティブな影響を与えることもありうるといえることだろう。本が人に与える影響力は価値中立的なものだからだ。

だとすれば、何段階かのステップを踏んだ後、今までにその分野に対する嗜好を持っていなかった、あるいは拒否反応を示していたような種類の表現物に対しても違和感なく接するようになることがあるといえるだろう。例えば、
『バカボンド』を読む→
同じ作者ということで『スラムダンク』を読む→
『スラムダンク』とだいたい同時期のジャンプ漫画ということで『ろくでなしブルース』を読む→
今まで嫌いだったヤンキー漫画も読むようになる、などといったような。

性的嗜好に関してはより固有の嗜好が強いためにそのような現象は起こらないのではないか、と思われる向きもあるかもしれないが、現実にこのような嗜好の形成が存在することは一般に周知のものとなっているようだ(また、この現象をポジティブに捉えて、カナダ(かどこかの外国)の性犯罪者の更正プログラムでは利用されているそうだ。社会的に好ましくない性的嗜好(例えば暴力的な性行為など)を有する受刑者に、社会的に妥当なポルノグラフィーによるマスターベーションを行わせることで、社会的に好ましくない性的嗜好を抑えることができた、という報告が日本の刑事政策雑誌『罪と罰』の2、3年前の号に載っていた(記憶があるのだが、現物を探したにも関わらずなかなか見当たらないので見つかり次第この部分の記事は差し替える))。

そして、形成された嗜好については、やはり人間、ぜひ実行に移してみたいと考えるのが人情だろう。例えば私はガンマニアで、やっぱりできれば銃を撃ってみたいと思っている。だが私や多くのガンマニアは銃刀法等を考慮することができる人間であるから、条例や法律の規制値に適合したエアライフルをぱすぱす撃っていたり、あるいは銃を撃っても構わないところまで旅行して銃を撃っているのである。そして、銃の乱射事件が起こったりすれば普通の人と同様に、あるいは(銃に対する社会の目が厳しくなるな、と嘆いて)普通の人以上にそのような事件が起こることを悲しんだりする。児童ポルノの愛好者だって、同様のことが言えるだろう。できればそういうことをやってみたいのだけれども法に触れるのは本意ではないし、そのような事件を起こす輩を憎んでいるはずだ。

だが悲しいかな、ガンマニアが高じて銃の乱射事件を起こす奴や、小児性愛が高じて児童に対する性的な虐待事件を起こす、堪え性のない奴は確実に存在しやがるのである。存在し、その嗜好形成原因と事件との因果関係があるがゆえに銃の所持は厳格に規制されている。児童ポルノが小児性愛を形成する可能性があり、そして小児性愛者が性的な虐待事件を起こすという因果関係がはっきりと認められれば、児童ポルノに対しても何らかの規制がされるべきことになるだろう。

しかし、この問題に関しては、仮に『ある種の本や漫画がネガティブな嗜好を形成する可能性があり、かつその嗜好が発現されるおそれがある』と言えるとしたとしても、それだけで即『だから規制されるべきだ』とはならないはずだ。

例えば、現実に18歳未満の女性と性的関係を持てばなんらかの罪に問われるだろうが、そのような嗜好のはけ口としてポルノが使用されることによってむしろ犯罪の抑制に役立っているという点も同時に指摘するべきだ。前述のカナダ(かどこか)の性犯罪者更正プログラムにおいて活用されているような側面も注目に値する。

だとすれば、本法の刑事政策的な意義を考量するにあたっては、児童ポルノが今まで担っていたポジティブな側面(はけ口としての側面)とネガティブな側面(新たに児童への性的嗜好を形成し、発現のおそれがあるという側面)について、秤にかけた結果、どちらを重視するべきかを判断することになるだろう。児童ポルノが犯罪に抑制的に働くと考えるならば本法の改正は妥当ではないし、児童ポルノが犯罪を増長すると考えるならば本法は改正すべきだ。

現在の議論について概観しても、その内容はその価値考量判断に至らず、感情的な好悪のレベルの議論に留まっている気がする。

以上から、本法の改正を推進しようとするならば、そのネガティブな側面がどのようなものであってどの程度あり、どれほどポジティブな側面に対して優越するものであるのか、ということを調査し、検討し、報告するべきだ。改正に反対するとすれば、その主張されたネガティブな側面が優越するという点について否定する証拠や主張を提出すべきことになる。そのような段階を踏まない感情的な議論はそれ自体失当であるように思われる。


…なお、以下、きわめて個人的な意見を述べさせてもらえば…

一、まず、刑事政策的な観点からは、刑罰はなるべく謙抑的になされるべきであるということが指摘される。刑罰の現実の姿としては、やはりそれは苦痛を伴う害悪であり、犯人の全生活のみならず、犯罪とは全く無関係の犯人の家族や親族らにも無形・有形の負担を強いていることは否定すべからざる事実である。だとすれば、仮に規制を加えるとしてもそれは刑事処分であるよりも行政処分であったほうがいいのではにだろうか。また、科刑に関しても、懲役刑などの自由刑ではなく、罰金及び没収のレベルに留めるべきではないだろうか。

二、上述のように、本法の評価の前提としてポジティブな側面とネガティブな側面があることを踏まえれば、規制されるべき児童ポルノは特にその内容に対応したものであるべきなのではないだろうか。例えば、単に少女趣味のあるポルノと少女への暴力的な性行為を描いたポルノとを同列に扱って規制するべきではないだろう(堪え性のない奴が「実際にその内容を実行したくなった」場合により法益侵害の度合いの強度な内容のものか否かを考慮するべきだ)。そのような暴力的なものに関しては別論、ハードコアでないポルノについてはポジティブな側面を重視し、規制すべきではないと思われる。

三、二にも関係することだが、刑事政策的に見た場合、児童ポルノよりも、より問題のある内容の表現物があるのではないだろうか。児童ポルノはまず第一に規制すべき対象なのだろうか。たとえば文章中に挙げた『ファンロード』…がそうだとは中身を見たことがないのではっきりとはいえないのだが…暴力的な行為を称揚するような表現の漫画などに未だ価値観が流動的である青少年(だいたいこういう表現を使ったときの『青少年』は中学生ぐらいの子供がイメージされているのが普通のようだ)が接した場合の影響を考えれば、現実的には、児童ポルノよりもより多くの問題が内在している気がする。ヤンキー向け雑誌を興味本位からか読みすぎて、中二病をこじらせてヤンキーになった奴ってけっこう多そうな気がするのだ。もっとも、この点に関しての統計調査などはないだろうし、あったとしてもその信頼性が問題となるから期待はしていないけれど…
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コメント

長い…

  • 2008/03/27(木) 00:33:30 |
  • URL |
  • 団藤 #-
  • [ 編集]

お久しぶりです。

長いですね。私もそう思います。

  • 2008/03/29(土) 00:23:56 |
  • URL |
  • 超伝導ET #-
  • [ 編集]

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