ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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2007年度総括

今年はよく映画を見た年だった。2008年に入ってからだけでも『スウィーニー・トッド』、『アメリカン・ギャングスター』、『バンテージ・ポイント』、『人のセックスを笑うな』の4つを見たよ。最後の一つ以外は面白かったな。旧作もけっこう見返したよ。

今まで芸術系の邦画をよく見ていたんだけど、やっぱり映画においてエンターテイメントは重要な要素だなあ。つくづく思った。画面構成の美とか、登場人物の心情とかについて考えさせられる映画なのはいいことだけど、だからといって退屈さがあったりしちゃいけないのだ。退屈さを我慢しながら見る映画なんてロクなもんじゃない。

そんな私が今年気に入った本はフランクルの『夜と霧』。今年何回も読み返した本だ。
昔からの青年期に読む本の定番ではある。だが、私はこの本に今まで手をつけていなかった…たぶん、この本の背後にある重厚なテーマだとか、ナチスによる収容所生活を強いられた心理学者の話という暗そうなイメージ、倫理的な観点から語られがちなエピソードだとか、あるいは出ているのがみすず書房だから手に入りにくいから、とか…

だが、この本は間違いなくいい本だ!
そんなに難しく考えてこの本を手に取るべきじゃない。
この本で語られているのは人間にとって普遍的な、苦境にあってもなお生き抜くことの素晴らしさ、これだと思う。それは言葉にするまでもなく読んでいて喜びを感じることが出来るものだ。

この本において出てくる『苦しみ』のエピソードは並ではない。まず、収容所についた著者、フランクルが受けたのは、選別。看守のドイツ兵が収容所に入る人々の列の前に立ち、歩く人々を眺めては指を右かあるいは左に傾けられる。9割がたは右へ、1割は左へ。フランクルのときには左に傾けられた。そして、この選別で左に指が傾けられた人は、労働に適さないと判断されて、すぐさまガス室送りとなっていたのだった。

フランクルは妻と一緒に収容所に連れてこられていたのだが、彼は妻の安否を知ることはできなかった。そして毎日が苦しい労働の日々。こぶしぐらいの大きさのパンに薄いスープで一日の食事は終わりだ。バイエルンの空気は冷たく、飢餓浮腫でむくんだ足は木靴に入らない。ある時、疲れ果てて眠った隣人が悪夢にうなされているのに気づき、フランクルは彼を起こそうとした…が、やめてしまう。どのような悪夢であっても、今彼が置かれている現実よりも辛いことはないのだ…

しかし、心理学者である著者は語る。いかに辛いときであっても愛する人の面影への思慕によって人間は苦しみに耐えられる(そしてそれにはもはや、愛情の対象が生きているか死んでいるかなどということは関係ないのだ、という)。

また、強制労働から帰ってきて、くたくたになってベッドに入ろうとしたフランクルたちを同僚が「いいから早く出てきてくれ!」とせかしたこともあった。疲れ果てた体を起こしてフランクルたちがバラックから外へ出てみると、そこにはバイエルンの山々に沈んでいこうとする夕日があった。そして一人はこうもらしたという、

「世の中ってやつはなんて美しいんだろう!」
傍らに飢えや疲労で苦しんでいる人々がいるぼろぼろのバラックがあり、彼自身も飢えや疲労で苦しんでいるというのに。

…所詮私が日頃味わっているような精神的・身体的な苦しみなんてフランクルのような極限状況にはとても及ばないようなものだということ、そして、そのような中で命を落とした多くの人がいること、そしてそのような中を生き抜いた人がいることが私に勇気を与えてくれる本だった。
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