ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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『イキガミ』見てきた、そして『生活維持省』とのことも述べたい

『イキガミ』を見てきた。
いい映画だと聞いていたので、期待していなかった。
大抵、期待して映画を見ると期待はずれに終わるのだ。
だが、期待とは裏腹にとても面白い映画だったよ(複雑だな)。

ネタバレは無いと思うが、用心して続きを読む、にしておくよ。


この映画は、24時間後の死を宣告される3人の若者を中心に描いている。
『国家繁栄維持法』という法律で、1000人に一人、ある年代の若者がある予定された日に、死を遂げるようになっている…という社会が舞台。そういった制度設計の理由が『命の尊さを認識させるため』だというのだからなかなかな社会だ。

この映画の狂言回しは、死亡を通知する書類を渡す役人。
その役人がすることは、基本的には死亡を通知するだけだ。
別に、自らの手で人を殺したりはしない。
却って、通知を受ける者との過度の接触を禁じられているほどだ。

死を宣告される若者は3人。
構成がとてもよかった。順序がいい、というか。

1人目の話では、積極的に限られた時間を生きる力強さみたいなものを感じさせられた。
この話で、この映画の設定をつかみつつ、観客は物語に没頭できるようになっている。

2人目の話では、人間性の破綻とか狂気とか、怖さが面白かったよ。
この映画の設定から当然ありそうな恐怖を順当に観客に提示している。

3人目の話では、不条理な死、そのせつなさが描かれていたように思う。
観客の余韻をマイルドにするとともにせつなさで〆るというのは、定番かもしれないがうまいやり方だよ。

3つの話は別にはっきりとわかれているわけではなく、あるいていど重層的ではある。だが、個々の、死亡通知を受けた人がどのような最後を選択するか、はそれぞれ別個であるから、観客は三者三様の「最後の24時間」の過ごし方を見ることができる。

狂言回しの死亡通知配達人の心の動き―心境の変化というべきか、それが妥当なのか―も、面白い。特に、最初のころと最後の頃の対比は印象深い。ラストシーンは心に残るものがある。時折はさまれる、監視カメラからの映像という表現も、いい効果を出していたようだ。

この映画は、見て損することはないはずだ。
ぜひ、多くの人に見てほしい。

なお、この作品については、世相批評がどうの、という見方もできるだろうが、私としてはただ単に、そこに現れているドラマを眺めるような見方がお勧めかなあ。

ところで、この映画については、触れておきたいことがある。
星新一の作品『生活維持省』に類似しているというクレームが星新一の遺族からついたというのだ。

『残念ながら、私としてはまだ納得できていませんが、この文章の掲載をもって私から小学館への問い合わせ及び抗議は終わりにし、判断はそれぞれの読者のみなさまにおまかせしたいと思います』というのが星新一の遺族からの抗議の結論のようで、今後訴訟等はないだろうから、映画の上映が打ち切られるとか、そういったこともないだろう。だから議論の実益もなさそうな気がするが、『生活維持省』と『イキガミ』、この二つの作品を重ね合わせたとき、遺族からクレームがつくほど、問題の多いとりあわせになるだろうか?

まず、私の星新一に対するスタンスを示しておくと、小学生のときから愛読していた作家だ。間違いなく、星新一は、私が人生でもっとも読んだ作家の一人だ。なにせ、私は戸越銀座の近くに住んでいるのだが、そこに住むのを決めた理由が『星新一の執筆期の町がその辺りだったから』だったというくらいだ。家の近所には星薬科大学もある。最相葉月の星新一に関する本を読んでいたときは、戸越という単語が出てくるたびに奇妙なうれしさを感じていたりした。

だから、この『生活維持省』もタイトルを言われればすぐに思い出される作品だったが、ではこの『イキガミ』は『生活維持省』のパクリと言えるようなものなのか?私は、以下の点で疑問を持っている。

『生活維持省』は「国家の手によって人が役人に殺される不条理な社会」を描いており、またその結末も秀逸な作品だ。対して、『イキガミ』はそのような「社会」そのものよりも、『あと24時間で死ぬとなったら何をするか?』という点にかなり重点が置かれた作品のような気がする。

この点はかなり重要な違いだろう。片方で描かれるのは不条理そのもの、しかしもう片方で描かれるのは、人間ドラマだ。

だからかもしれないが、『生活維持省』で描かれる社会は、実に健全で理想的、だが一つの必要悪としての不条理な死が存在する、という社会だった。『イキガミ』で描かれる社会は、劇中で「犯罪が少なくなり、GDPもあがった」みたいな説明が一応なされていたものの、イキガミ制度がありつつも尚、いまだにろくでもない社会だった(劇中の人物もわりとろくでもなかったような気がする)。その描く社会のぎとぎととした生活臭というか、温気というか、瘴気といおうか、それは普通は嫌がられるようなものなのかもしれないが、しかし『イキガミ』においては人間らしさの描写の一つの具材になっていたように感じられた。

個人的な印象としてしか意見を述べられないのだが、二つの作品から受ける印象というのは相当異なっている。少なくとも、『生活維持省』の著作権に配慮し、『イキガミ』を上映中止にしたり、絶版にしたりするようなことが相当と認められるほどではない。それどころか、そのような対応は、著作権法の趣旨である文化の発展という精神から外れているだろう。

なお、付け加えるに…
小学館側の見解というのも星新一の公式サイトに載っているのだが、『『イキガミ』の作者・間瀬元朗氏も担当編集者も、最近になるまで星先生の『生活維持省』という作品を読んだことはなく…』とある。さすがにこれは訴訟のための戦術なんじゃないかと思う。パクリと認定されないために依拠性を否定するための一つの事実主張なのだろうけれども、『イキガミ』にかかわった人間の数と、出版関係者の読書量を勘案すれば、ちょっと信憑性が低すぎる主張なのではないか。

もっとも、その文中に『この『リミット』(引用者注:『イキガミ』のプロトタイプの読みきり)を描く時点で、太平洋戦争当時の徴兵のための召集令状――いわゆる「赤紙」のイメージを物語の設定部分として用いましたが…』という部分があり、これの信憑性が強いように思われる。『イキガミ』の物語の構造や、ストーリーの運びと整合的な主張だと思う。少なくとも、『生活維持省』に依拠して『イキガミ』が作られたというのはちょっと難しい主張だろうと思われる。

また、この点について『国家による人口調整もの』というジャンルの2作品だとする説もあるだろう。マルサスの人口論あたりから考えれば『生活維持省』みたいな作品は考えられなくもないところで、また、似たような発想による作品というのも少なからずある気がする。あと、公式サイトの文中の、『生活維持省』と『イキガミ』を対比した部分は箇条書きマジックじゃないかな?とも思わなくもない。
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