ナカノブひとりぼっち

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訴訟への被害者参加制度について:「それでもボクはやってない」感想

遅ればせながら、私も『それでもボクはやってない』を見てきた。
詳しい説明は超伝導ET君の批評によるとして、この映画に関連するニュースについて、一言二言、意見を述べたい。
超伝導ET君も述べていた被害者の訴訟参加について、だ。

犯罪被害者が刑事裁判に参加することを積極的に認める、いわゆる『被害者参加制度』について、今日の産経新聞に興味深い記事が掲載されていた。
2007年02月10日、東京朝刊・オピニオン面の記事である。
犯罪被害者の訴訟参加について、ウェブで読者に意見を公募した結果だ。

その結果は次のようなものだった。

 「犯罪被害者の法廷参加に賛成ですか」

   81%←YES NO→19%

 「被害者の論告・求刑も認めるべきですか」

   68%←YES NO→32%

 「量刑に不当な影響は出ると思いますか」

   66%←YES NO→34%

犯罪被害者の法廷参加に賛成の人が全体の8割を超えている。もっとも、これはこの問題について積極的に意見を述べたいと思っている人の割合でもあるから実際はもう少し低い可能性があるにせよ、かなりの割合で賛成者がいるということが言えるだろう。

ちなみに、読売新聞でも似たような調査を行っていた。この記事は今ならウェブ上で見ることができる。

そしてこの記事によると、『…読売新聞社の全国世論調査(昨年12月9、10日実施、面接方式)で、犯罪の被害者やその家族が、裁判に参加して被告人に直接、質問ができるようにすべきだと考えている人が「どちらかといえば」を含めて68%に上った。…』とのこと。

これは世論調査であるので産経新聞の場合とは方式が異なるが、こちらも7割近くの人が被害者の訴訟参加を是としている。
日本の世論は被害者にも積極的な訴訟参加の権利を認めるべきであるという形で動いているようだ。

だが、私はこの問題の世論の受け止め方には疑問がある。

この問題について賛成の意見を述べる人というのは、おそらく被害者感情を刑事裁判に反映させるべきであるという点に重点をおいているのだろう。
確かに、現在、犯罪被害者がおかれている立場には同情すべきところが多々ある。犯罪により不条理な被害を受け、国からの補償も不十分なままだ。さらには報道による二重の被害というものも発生している。
しかし、その対応としてこの被害者参加制度は妥当なものだといいうるのだろうか?

第一に、現代の刑事政策において刑を科す目的とは、再犯の防止、つまり犯罪者の教育、社会復帰である。この点で、近代以前の刑事政策が刑を科すことについて応報を目的としていたこととは根本的に異なっている。罪を憎んで人を憎まず、と言う言葉はこのことを意味している。
この点について、「犯罪の被害者がいつまでも癒えない悲しみにくれているのに比べて、犯罪者は刑を終えれば自由が与えられ、不条理だ」という批判もあるが、かつて犯罪を犯したものであってもかつて犯した罪に一生縛られて社会復帰させることができないというのは適切でないし、社会的にも損失が大きく、妥当性に欠けるといえるだろう。

また、次のような問題がある。
被害者が参加している公判というものを想像してみよう…
被害者が主体となって提起した公訴に基づいて、被告人が裁判の場に連れてこられる。
そして、被告人の量刑を重くするために、被害者が自らの被った被害について、そして憎むべき『犯人』について、法廷で陳述する。裁判官は被害者に深く同情し、『犯人』に対する心証も悪くする…

しかし、ここでいう『犯人』とは誰か?
それは必ずしも『被告人』と同じ客体であるとは限らないだろう。刑事捜査の手違いで、犯人ではない人間が犯人として取り調べられ、起訴されることもありうるかもしれない。いや、現実にそのような事例も存在するだろう。
そして、刑事裁判での起訴を受けるということは、被告となった当事者にあまりにも大きい負担を与える。実際には無実であったとしても、周囲からは犯罪者としての取り扱いを受けることもあるだろうし、弁護士費用も馬鹿にならない。勝訴を勝ち取ったとしても、赤字は確実だ。

また、刑事裁判の場に引き立てられた『被告人』が有罪の『犯人』であるという前提に立って審理を行ってはならないという原則がある。これを表す言葉として「被告人の推定無罪」がある。これは、被告人が有罪であると原告(つまり訴える側)が主張し、裁判でその主張が認められるためには被告人が有罪であるということに合理的な疑いを容れない程度まで認められなければならないことを意味する。
だが、実際の刑事被告人となった人間に、このような配慮が与えられているかといえば…非常に疑問だ。

つまり、以上二点から、公訴の提起は非常に大きな被告人への負担をもたらすことになる。よって、公訴の提起は慎重に行わなければならないことになる。実務においても、逮捕された人が実際に起訴される割合はそう多くない。
現在の刑事訴訟制度において、公訴権は検察官が専有しており、この起訴・不起訴決定の権限こそが検察官のもっとも重要な権能であるといえる。

だが、被害者参加制度が実施されれ、公訴権が被害者にも分け与えられるようになったとき、どのような状況が現れるだろうか?
いうまでもなく、被害者は『犯人』、つまり捜査において『犯人』であるとされた人間に対して、強い憤りを感じていることが多い。いままで犯人・被害者という関係からは第三者という面が強かった検察官が客観的な立場から起訴・不起訴を決定していた制度下では不起訴と決定されていたような、可罰的違法性の低い事件や証拠の不十分な事件などにおいても、被害者の強い要望により、公訴が提起されるようになることも予想される。

事実、イギリスなどでは起訴は日本に比べて安易に行われるそうだ(これは捜査の方法や取調べの方法、事実認定の違いや刑法上の構成要件の違いなどさまざまな制度の違いに起因するものなので一概に『安易』とは評価できないだろうが)。ただ、市民の側の起訴の受け止め方が日本とイギリスとでは異なっており、『被告人の推定無罪』の考え方が浸透しているために、日本ほど被告人の社会的負担が大きくないがためにそう問題にはなっていないらしい。日本の制度もイギリスのものに近いものになるのだろうか。

だが、仮に制度をそのようなものに移行させたところで、世間の受け止め方も当然にイギリス市民のようなレベルに移行するものではないだろう。日本では未だ被告人こそ犯人、という考え方が根強い。そのような日本の社会的背景を踏まえれば、欧米並みの『市民の訴訟参加』というお題目は、私には単なる机上の空論、理想論、きれいごとにしか聞こえない。

しかし、おそらくこの被害者参加制度は施行されるだろう…それが世論の選択なのだから。世論の選択にしたがって法律は形成されていくのだ。
今後法制審議会がどのように動いていくのか、気になるところだ。
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テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

コメント

たぶん被害者参加制度は導入されるよ…

それにしても法制審議会のメンバーとして被害者の会代表の人などが入っていたのか…

  • 2007/02/10(土) 19:25:11 |
  • URL |
  • 団藤 #-
  • [ 編集]

おお団藤君も見に行ったのか。
どうでした?
それにしても役所こうじは周防正行作品に出まくってるね…
日本映画の顔ですな。

  • 2007/02/10(土) 21:26:11 |
  • URL |
  • 超伝導ET #-
  • [ 編集]

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