ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

帰還とその報告、そして綾波レイリボルテック・フィギュアについて


日本に帰って、友人を訪ねると、その部屋は紅茶の香りがしていた。
ドイツではあまり紅茶なんて飲まなかった。ドイツでは紅茶を飲む人が少ないのではなくて、私がそんな精神的な余裕を持っていなかったのだ。
みなさんお久しぶりです。団藤です。クリスマス休暇で帰ってまいりました。
紅茶を淹れてくれたのはe-co君だ。ありがとう。
e-co君にはもう会ったけど(君は暇人だな)、他のみんなもお元気だということで何よりだよ。

日本に帰ってきたなあと思ったのはやっぱり神田に行ったときだったね。今日はクリスマスだっていうのにあの辺りはあまりいつもと変わりやしないね。

秋葉原にも行ったよ。いつもどおり。綾波レイのリボルテック・フィギュアを手に入れた。1600円で。ヨドバシカメラで。ドイツに持って帰ったら何といわれるか分からないが安いし小さいものだったのでとりあえず買ったのだ…

だが、部屋に戻って箱を開けてみたんだが…意外と関節が固いんだね、これは。もっと関節が動くんじゃないかと期待していたのだが…クックロビン音頭を綾波フィギュアに踊らせるというのは不可能な夢に過ぎなかったようだな。だいたいクックロビン音頭を躍らせたところで自立しないだろうからなあ…

東京駅に行ったのも久しぶりだったのだが、東京駅って改装しているんだね。なんかおしゃれな雰囲気に変わって(変わる途中で)、懐かしいような場違いなような気がしたよ。

ところで、私の綾波フィギュア、誰か買わないか?
やっぱりドイツに持って帰るのはやめようと思うんだ…

グレンラガンをドイツに伝えてくるよ


もう東京を発たねばならない。ドイツが遠いせいだ。
浮世というのはげに世知辛い。
日本はやっぱりいいな…特にアニメがちゃんとTVで流れていることがいいよ。

私が特に感動したのはグレンラガンだ。ファンの一人君が録画してくれていたビデオで見たのだ。もっとも、まだ第一話と最終話しかみていない。変な見方かな?しかし、第一話、それは私にまぎれもない感動を与えてくれた!地上が実在するということを知らないほどに地下深くに長く暮らしていた少年が地上に出て空の広さを知る…!いいね。すごく。なんというか、カタルシスがあるじゃないか!

グレンラガンの魅力的だったところをもう一つ指摘するとすればヨーコだろうか。いいね。声が。

声が誰なのか気になって調べたら知らない人だった。
一瞬「もしかしてヒナギクとおんなじ声の人か?」とか思ってみてみたのだが…ヒナギクとおんなじ声の人だったのはシモンのそばにいるモグラみたいな奴だった。

私って聴力がないのか…?でも、似てない?あの声。

とりあえず、私に課せられた使命はドイツにグレンラガンを伝えることのようだな。誰に伝えたらいいのかは分からないが…あと、ドイツでも知ってる人は勿論知ってるんだろうけどさ。

諸君、私は帰ってきた:エヴァンゲリオンは面白かったよ


やあ、中延文学会の諸君、お元気だったかね?
長い(といっても半年の)日本を離れた生活で若干カンが狂ってしまっているようだが、半年に一度の長期休暇で日本に帰ってきた。4月から9月末までで一区切り。もっと早く帰ってきたかったんだけど。しかも、またすぐに帰らなくてはならないのだが…

なぜ日本に帰ってきたのか?勿論、日本で羽を伸ばしたいというのもあるのだが、私の主目的は日本で病院に検査に行くことであった。ドイツでは民間保険に入っていないと良質な医療サービスが受けられないのだ。で、私はドイツの民間保険にはめんどくさかったのでまだ入っていないし(保険金の請求手続き自体も結構めんどくさいらしい)、大体ドイツ語で私の健康状態について説明されても分からんのでね。

今もやっている映画のマイケル・ムーア映画"Sicko"ではアメリカの医療保険制度がいかにひどいかというのを強調する映画だという風に聞いているが、大抵の国の医療保険制度には問題が多々あるようだね…日本もしかり。老人層に対してあまりにも医療助成が厚過ぎて、老人が無意味に医者に行き過ぎる、とか。ドイツでも医療助成等が厚過ぎることが産業界における雇用の流動性とかを押し下げている、とかで問題になっているが…あまりにも従業員の福祉に関してかかるコストが高すぎるから企業が雇用に対して消極的にならざるを得ない、とかなんとか。EU経済圏での人・物・金の流れ、そして欧州公正取引委員会なんかの動きが今後どうなっていくかが注目かな。

そして…ココからが本題なのだが、私が日本に来たもう一つの理由は「エヴァンゲリオン」の映画を見ることであった。もう見た。二日目にして見に行ったということから私の本気度が伺えるであろう。エヴァンゲリオン世代としてこれは外せなかったね…

感想?ラミエルがかっこいいってことかな。
今後はかなりアニメ版とは違った展開をしていくらしいけど、私は放送時人気の無かった第26話がかなり好きだったのだよ…ああいう風にならないかなあ。ならないだろうなあ。

ちなみにドイツでエヴァンゲリオンがどの程度評判なのかは私には知りようがなかった。私の周りにオタクが居なかったからだ…もしも私がドイツに元々住んでいたらオタクにはなれなかったであろう…ああ、私は日本人でよかった。

漫画出版社への提言:団藤

出版科学研究のまとめによると、昨年(2006年)の国内コミック市場の販売金額は、4810億円と前年比4.2%減と初の5000億円割れとなった。この報告によれば、コミックは2年ぶりの減少、コミック誌は11年連続の減少、特にコミック誌の落ち込みが目立ちコミック誌の読者離れが続いている、とされている。
このような状況にあって、どのような方策をもって漫画市場の拡大を図るべきか。
私はここで、再販制度の維持のための運動について提案する。

再販売価格維持行為は、不公正な取引方法として原則として違法とされるにもかかわらず、独占禁止法23条4項により、著作物に関しては例外的に許容されている。そして、この著作物に関する再販制度がなくなれば、出版業界には大きな打撃となることだろう。
だが、公正取引委員会は著作物について適用除外制度を見直す方向で問題点を検討し、「一定期間経過後に制度自体の存廃について結論を得るのが適当である」としている (「著作物再販適用除外制度の取り扱いについて」〔1998年1月13日〕公正取引特報1645号参照のこと)。
これらの動きに対し、利害を同じくする出版業界は協同して再販制度維持のためにキャンペーンを展開し、自らの利益を守ることに努めるべきではないだろう。

その具体的な形としては、出版と同じく著作物再販適用除外制度の対象となっている新聞と合同して行うことが望ましいだろう。
また、ここでは漫画を出版している出版社を漫画出版社と呼んでいるのだが、多くの出版社は報道を主な目的とする雑誌を擁している(例えば小学館なら週刊ポスト)。この雑誌によるキャンペーンをもって文化活動の維持であるとかそういった建前を宣伝するべきだろう。

もっとも、実際のところ、今後もずっと再販適用除外制度が存続するとは思えない。

この制度が無くなれば出版社はその活動の形態を変えざるを得ないだろう。それが独占禁止法の求めるところであるのだ。そもそも今まで不当に大きい利益を得ていたとも表現できる。この制度が存続しているのは新聞社などによるキャンペーンが飛び火して公正取引委員会以外の部分が叩かれることを恐れている役所側の消極的な態度から来るものでしかない。

つまり、やるべきことは、できるだけこの『制度が終わる日』を引き伸ばしに掛かること、ということだな。

いつまで持つかということは…私は分からない。ただ、そう長くは持たないだろう。

訴訟への被害者参加制度について:「それでもボクはやってない」感想

遅ればせながら、私も『それでもボクはやってない』を見てきた。
詳しい説明は超伝導ET君の批評によるとして、この映画に関連するニュースについて、一言二言、意見を述べたい。
超伝導ET君も述べていた被害者の訴訟参加について、だ。

犯罪被害者が刑事裁判に参加することを積極的に認める、いわゆる『被害者参加制度』について、今日の産経新聞に興味深い記事が掲載されていた。
2007年02月10日、東京朝刊・オピニオン面の記事である。
犯罪被害者の訴訟参加について、ウェブで読者に意見を公募した結果だ。

その結果は次のようなものだった。

 「犯罪被害者の法廷参加に賛成ですか」

   81%←YES NO→19%

 「被害者の論告・求刑も認めるべきですか」

   68%←YES NO→32%

 「量刑に不当な影響は出ると思いますか」

   66%←YES NO→34%

犯罪被害者の法廷参加に賛成の人が全体の8割を超えている。もっとも、これはこの問題について積極的に意見を述べたいと思っている人の割合でもあるから実際はもう少し低い可能性があるにせよ、かなりの割合で賛成者がいるということが言えるだろう。

ちなみに、読売新聞でも似たような調査を行っていた。この記事は今ならウェブ上で見ることができる。

そしてこの記事によると、『…読売新聞社の全国世論調査(昨年12月9、10日実施、面接方式)で、犯罪の被害者やその家族が、裁判に参加して被告人に直接、質問ができるようにすべきだと考えている人が「どちらかといえば」を含めて68%に上った。…』とのこと。

これは世論調査であるので産経新聞の場合とは方式が異なるが、こちらも7割近くの人が被害者の訴訟参加を是としている。
日本の世論は被害者にも積極的な訴訟参加の権利を認めるべきであるという形で動いているようだ。

だが、私はこの問題の世論の受け止め方には疑問がある。

この問題について賛成の意見を述べる人というのは、おそらく被害者感情を刑事裁判に反映させるべきであるという点に重点をおいているのだろう。
確かに、現在、犯罪被害者がおかれている立場には同情すべきところが多々ある。犯罪により不条理な被害を受け、国からの補償も不十分なままだ。さらには報道による二重の被害というものも発生している。
しかし、その対応としてこの被害者参加制度は妥当なものだといいうるのだろうか?

第一に、現代の刑事政策において刑を科す目的とは、再犯の防止、つまり犯罪者の教育、社会復帰である。この点で、近代以前の刑事政策が刑を科すことについて応報を目的としていたこととは根本的に異なっている。罪を憎んで人を憎まず、と言う言葉はこのことを意味している。
この点について、「犯罪の被害者がいつまでも癒えない悲しみにくれているのに比べて、犯罪者は刑を終えれば自由が与えられ、不条理だ」という批判もあるが、かつて犯罪を犯したものであってもかつて犯した罪に一生縛られて社会復帰させることができないというのは適切でないし、社会的にも損失が大きく、妥当性に欠けるといえるだろう。

また、次のような問題がある。
被害者が参加している公判というものを想像してみよう…
被害者が主体となって提起した公訴に基づいて、被告人が裁判の場に連れてこられる。
そして、被告人の量刑を重くするために、被害者が自らの被った被害について、そして憎むべき『犯人』について、法廷で陳述する。裁判官は被害者に深く同情し、『犯人』に対する心証も悪くする…

しかし、ここでいう『犯人』とは誰か?
それは必ずしも『被告人』と同じ客体であるとは限らないだろう。刑事捜査の手違いで、犯人ではない人間が犯人として取り調べられ、起訴されることもありうるかもしれない。いや、現実にそのような事例も存在するだろう。
そして、刑事裁判での起訴を受けるということは、被告となった当事者にあまりにも大きい負担を与える。実際には無実であったとしても、周囲からは犯罪者としての取り扱いを受けることもあるだろうし、弁護士費用も馬鹿にならない。勝訴を勝ち取ったとしても、赤字は確実だ。

また、刑事裁判の場に引き立てられた『被告人』が有罪の『犯人』であるという前提に立って審理を行ってはならないという原則がある。これを表す言葉として「被告人の推定無罪」がある。これは、被告人が有罪であると原告(つまり訴える側)が主張し、裁判でその主張が認められるためには被告人が有罪であるということに合理的な疑いを容れない程度まで認められなければならないことを意味する。
だが、実際の刑事被告人となった人間に、このような配慮が与えられているかといえば…非常に疑問だ。

つまり、以上二点から、公訴の提起は非常に大きな被告人への負担をもたらすことになる。よって、公訴の提起は慎重に行わなければならないことになる。実務においても、逮捕された人が実際に起訴される割合はそう多くない。
現在の刑事訴訟制度において、公訴権は検察官が専有しており、この起訴・不起訴決定の権限こそが検察官のもっとも重要な権能であるといえる。

だが、被害者参加制度が実施されれ、公訴権が被害者にも分け与えられるようになったとき、どのような状況が現れるだろうか?
いうまでもなく、被害者は『犯人』、つまり捜査において『犯人』であるとされた人間に対して、強い憤りを感じていることが多い。いままで犯人・被害者という関係からは第三者という面が強かった検察官が客観的な立場から起訴・不起訴を決定していた制度下では不起訴と決定されていたような、可罰的違法性の低い事件や証拠の不十分な事件などにおいても、被害者の強い要望により、公訴が提起されるようになることも予想される。

事実、イギリスなどでは起訴は日本に比べて安易に行われるそうだ(これは捜査の方法や取調べの方法、事実認定の違いや刑法上の構成要件の違いなどさまざまな制度の違いに起因するものなので一概に『安易』とは評価できないだろうが)。ただ、市民の側の起訴の受け止め方が日本とイギリスとでは異なっており、『被告人の推定無罪』の考え方が浸透しているために、日本ほど被告人の社会的負担が大きくないがためにそう問題にはなっていないらしい。日本の制度もイギリスのものに近いものになるのだろうか。

だが、仮に制度をそのようなものに移行させたところで、世間の受け止め方も当然にイギリス市民のようなレベルに移行するものではないだろう。日本では未だ被告人こそ犯人、という考え方が根強い。そのような日本の社会的背景を踏まえれば、欧米並みの『市民の訴訟参加』というお題目は、私には単なる机上の空論、理想論、きれいごとにしか聞こえない。

しかし、おそらくこの被害者参加制度は施行されるだろう…それが世論の選択なのだから。世論の選択にしたがって法律は形成されていくのだ。
今後法制審議会がどのように動いていくのか、気になるところだ。

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

前のページ 次のページ

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。