ナカノブひとりぼっち

(日常はあっけなくデストロイされちまった!)

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思わずドキッ☆サル並み知能で悶絶アヴァンチュール!そして遺書を書こう


なんの因果か、遺書を書くことになった。
人間いつ死ぬか分からないとはいえ、遺書を書くというのはあまり気持ちのいいものではないのう。
今、やけくそでこの文章を書いている。

e-co君が嬉々として遺書を書いているのを横目で見ていたがなんだか殺伐とした気分になってきた。

でもe-co君と約束したのでしょうがない…。遺書の一つ、書いてやろうか。
私は久しぶりに昔の書道道具を取り出し、毛筆で遺書をしたためた。
なぜ毛筆で書いたかというと『とめはねっ』の新刊を読んで感動したからだ。

それにしてもe-co君は『とめはねっ』の加茂先輩に似てるなあ…
以前はハヤテのごとく!の朝風理沙に似ていたように思っていたが。
背の高さといい性向といい…。もうちょっとぎょろ目だが。
そうe-co君に告げたのだが、あんまり喜んでいなかった。
まあ、そうでしょうね。

遺書は以下のとおりだ。

【“思わずドキッ☆サル並み知能で悶絶アヴァンチュール!そして遺書を書こう”の続きを読む】

2008年は漫画の当たり年だった

やあみなさんお元気だろうか。コミケも一日目が終わったね。われわれ中延文学会員有志(二人しかいないけど)は「コミケ会場に近いところに住んでいる」という地の利を生かしてコミケに参戦してきたよ。そして今は疲れきって倒れふしているという感じかな。それでも明日も行くのだ。

開場を待つ時間、われわれが話し合ったのは今年の漫画は面白いのが多かったよねという話であった。その内容を以下、ここにまとめつつ今年の漫画表の総決算としたい。以下、思いだせるままに挙げていこう。

石黒正数『それでも町は廻っている』第5巻
同上『ネムルバカ』


『それでも町は廻っている』のほうは26日に発売だったため、とても読後感が新しい。一応この漫画はメイド喫茶を中心に廻っているストーリーのはずなのだが、この巻はとくにぜんぜんメイド喫茶部分が出てこなかったなあ。そして漫画内時間もちゃんと進んで嵐山歩鳥は2年生になっているのだ。キャラクターの成長に関するエピソードは36話、37話、39話あたりに顕著だったかな。

追記:とか思っていたらこの漫画は時間軸が回によって違ったりする漫画だったのね…教えられて初めて気づいた…ごめんよしったかぶりして。みんなは気をつけてね。

それにしても、今後ずっと歩鳥たちは現実時間と同じスピードで年を重ねていって…もしかしてあと1年ちょっとで高校卒業…『それ町』の連載が終わってしまうなんてことがあるのだろうか?ちょっと悲しいぞ。いや、このままだと紺先輩が卒業してしまいやしないか?どうなんだそこんとこは。卒業したらどうなるのかな?

あと、39話のエピソードは静ねーちゃんの正体を示唆する重要な話だったね。この話で作者が示唆している静ねーちゃんの正体とは…まあ一読すれば明らかなんだけれども…しかしミステリ好きの石黒正数のこと、もしかしたらなんぞやのミス・リーディングを施してあるかも知れませんな。その解答編は今後に期待ということで…。

『それ町』に加えて、同じ作者の『ネムルバカ』は間違いなく今年最も印象的だった漫画の一つだ。ミュージシャンになるという夢を目指す先輩、そして自分が何ができるのかわからないでいる後輩、いいよねこういう人間関係ってのは。人間のモラトリアム期を描いた漫画としてはこの漫画よりもすばらしいものを読んだことがない気がする。ラストもよかった!

石黒正数の漫画は何回読んでも読むたびに面白いというすばらしい特質を備えている。なぜそのような特質が発揮されるのかはわからない…たぶん、その特徴的な、しかししつこさのない絵柄であるとか、押し付けがましくないストーリー展開であるとか、個性的でも暑苦しくないキャラクター造型であるとか、そういったものに起因するんじゃないかと思っているが、石黒正数と同じような面白さを持った話が描ける漫画家というのはそういない気がする。


島本和彦『アオイホノオ』

『アオイホノオ』も『ネムルバカ』と同様、モラトリアム漫画に分類できるだろうか。だがしかし、その面白さの主眼というのはモラトリアムの何かこうもんもんとした雰囲気だけではなくて、1980年代という特殊な漫画シーンを描くことにもある気がする。深夜映画を見に行く話とか、あだち充の漫画に衝撃を受ける話とか、あとはアニメのOPを全力で目に焼き付けているシーンとか、なんか私は体験していないのに『懐かしい』というような錯覚を味わってしまうエピソードが満ち満ちていてすてきだったのだ。

(『懐かしい』と思ってしまうのはなぜなんだろう?直接体験ではなく、間接的に体験してきた何か(あだち充に影響された漫画だとか、80年代アニメを見て育ったクリエイターのアニメだとかにしみこんだ何か)に今まで触れてきたいた自分が、その原体験を再び体感することによって、その『何か』が再び噴出してきているのだろうか…)


福満しげゆき『僕の小規模な生活』

『アオイホノオ』に触れたならこっちにも触れなくては片手落ちというものだろう。言わずと知れた、今年ヒットを飛ばした漫画家漫画だね。

e-co君はかなり前から…高校生の時というから2,3年前だが…『僕の小規模な失敗』を知っていたそうだ。漫画の中に描かれている主人公(=作者)のダメっぷりに異常に心引かれるものがあり、高校の同級生に薦めまくったらしい。そういうe-co君をどういう目で回りの人が見ていたんだろう。それについてはe-co君は「ノーコメントです」とのことだった。あとどういう経路でこの作品を知ったんだろう?

まあそれはそれとして、『僕の小規模な生活』、この漫画は大抵の漫画と違って2巻のほうが面白く感じた。この漫画家がダメ人間として生活している部分よりも、新人の(といっても結構な年だが)漫画家として妻と一緒に生活している部分のほうが面白いのだった。たぶん、バイトで身をすり減らしている日常の漫画なんかよりも、自分が見たことのない世界の日常の漫画のほうが読者にとって面白いからだろうな…あと、私は100ページの『蓄積された充実感のエネルギーのほとばしり』の表現が好きだった。なんじゃこりゃというような表現なのだけど。…それにしてもこの漫画、2巻はページが少ないくせに高いなあ!705円プラス税だって。140ページぐらいしかないのに…


また、今年は女性の漫画家のギャグにセンスを感じることが多かった。
薦められて読んだのは桜井のりお『みつどもえ』だった。名前は知っていたがチャンピオンの漫画ということで読んだことは無かったのだが…とても面白く読んだよ。最初の頃はなんだか避けられがちだったのに三つ子はいつのまにか友達もできてるっぽいしいい話じゃないか。私はひとはのホラー顔がお気に入りだった。e-co君はひとはのつけていた日記の文章「とんでもない雌豚である」とかがお気に入りだったってさ(6巻の第105話)。

アニメも面白かった武梨えり『かんなぎ』は1~3巻のギャグ色の強い部分がとくに私のお気に入りだった。あとがきも良かったよね。作者マンのデザインが好きだ。

今年出た漫画ではないのだがほかにギャグが光っているような気がした女性漫画家というと樹るう『ナチュラルハイ』西炯子『ひとりで生きるモン!』が良かったなあ。とくに後者はお勧めだ!どんな漫画家というと言葉では説明しにくいものがあるから実際読んでほしい。

ファンの態度についての諸見解

最相葉月の『星新一 一〇〇一話をつくった人』の中にこんな部分があった。

(11月25日追記:コメントでの指摘を受け、本腰を入れて本棚を掃除したところ、本を見つけたため、訂正し、加筆した)

星新一のファンクラブ、『エヌ氏の会』の代表である林敏夫氏は、ファンクラブの会報に批判的な記事を書いた会員に対し、抗議文を送ったことがあるとのこと。

林氏の見解の要旨は、おそらく以下のようなものだろう。
上の本のP.484中ごろ。

『ファンクラブとは、その作家がいかなる状況にあっても変わりなくエールを送り、支え続ける応援団のような存在である。たとえ会心の作とは思えなくても、作家の生理を理解し、静かに寄り添い快復を待つ。流行っているから読んでみたという、にわかファンとはまったく異なる。不満があって、ルールが守れないなら、脱会すればいい。』


私はこの見解に若干の違和感を感じた。批判的な見解なしに批評なんてありうるものなのか。上記の見解によれば、ファンは作品についてポジティブな意見しか述べてはならないということになる。作品がつまらなくても褒めるべきなのか。林氏の見解もそこまでは言ってはいないようにも思えるが、作品がつまらなくても褒めるべきであるとする見解があるとして、仮に、その見解を①ファン・ポジティブ説と名づける。

しかし、ファン・ポジティブ説にも一理なくはない。作家に「最近の作品はつまらないですね」といってもモチベーションが上がってよい作品を書いたりするようになるというものではない(物書きの作業はサラリーマンの営業成績なんかとは違うことだろう)、だとすれば作家の精神をポジティブな状態に保つことが作家が良作を生むことができる環境につながり、結果としてファンも喜ぶ、という循環が想定されているのだと思う。

この説に対して、ファンの発言につき、面白かったら面白いといい、面白くなかったら面白くないというべきだという見解―これを仮に②ポジ・ネガ説と名づける―があるだろう。ごく自然な読者のそれであり、読者ならこうあるべき気がする。私も当然こうだと思っていた。

そう思っていたのだが…上記二つ以外にも見解があるようだ。私の友人が提唱する説は以下のようなものだ。

ファンといえども対価を払って作品を読む読者である以上、自由な発言が許されてしかるべきだ。しかし、真摯なファンならば、作家がよい作品を生み出すことができること、そしてその作品を享受できることこそを最上の喜びとするべきだ。だとすれば、作家が前向きな精神状態になり、良い作品を生み出すことができるようになるべきことがもたらす利益が、ファンが自由な発言をなしうる利益に優越する。

したがって、ファンは作品を褒める意見は積極的に行うべきだが、ネガティブな意見はあまり公にするべきではない。具体的には、作品が面白かったら褒め、作品が面白くないときはじっと耐えて何も言うべきではない、とする―これを③ポジ・ゼロ説と名づける―。


なるほど。こういわれてみると、なんだか③ポジ・ゼロ説には一理あるような気がしてこないでもない。

これらの説の違いは、ファンに一般の読者と異なった義務(つまらない、という批評をすることを差し控える義務)を認めるか、認めないかという点で違いが出てくる。もっとも強くその義務を認め、かつ、つまらない作品であっても褒め義務までも認めるのが①ファン・ポジティブ説であり、まったく認めないのが②ポジ・ネガ説であり、その中間説が③ポジ・ゼロ説ということになる。

上記の林氏の見解におけるファンクラブの会員についての『にわかファンとはまったく異なる』という認識は、まさにこの点を踏まえたものだろう。にわかファンとは異なるファンクラブの会員は、作品についてネガティブな批評をしないという不作為義務を負う、ということが氏の見解の主眼なのだと私は解釈している。

どの説が妥当かということは一義的には決めがたいだろう。
個人の性格によるんじゃないだろうか。

また、作家の性格にもよりそうだ。島本和彦は『吼えろペン』のあとがき部分で編集者の仕事は作家をいい気分にさせること、と述べていた気がする(これも本がどこにあるかわからないのではっきりいえないのがもどかしいところだ)。そのような作家のファンにはより強く「ファンはネガティブな批評をするべきではないという義務」が認められやすくなるだろう。

ただ、ファン倫理としては③を採る人が多い気がする…統計をとったことなんてないので個人的な感想だけれども。とくにミステリ作家とか少女マンガ家とかについては、ファンは③で行くべし、という雰囲気が確かにあるかもしれないね。


追記:
理論的には常に作家を厳しく批評する④ファン・ネガティブ説というものも考えられるが、たぶん作家というのは体育会系の精神構造を持ってなさそうだしなあ、実際にこういうことをする人がいるとは考えにくい。映画評論家とかはこういう人もいるけど。

追記2:
本棚、掃除します。

追記3:(11月25日)
本棚、掃除しました…が、まだ中途です。
コメントでご指摘くださったケチャンさん、どうもありがとうございました。

サンデー売り上げ減について:雑誌読もうよ、とか

(気がかりなニュースを見たので予定を変更してお送りします)

日本雑誌協会の発行部数データを見た。
サンデーの売れ行きが芳しくないらしい。
昔から芳しいといえる状況にはなかったのかもしれないが。

かつては(20年くらい前かな?)『漫研のサンデー』と呼ばれ…『漫研のサンデー』でぐぐってみてもあまりヒットしないけど…けっこうコアめな若者をがっちりつかんでいたはずなのにそれなのに。

実は我がナカノブ文学会はサンデーを保存し始めてはや25年。25年分のサンデーはレンタルコンテナの大半を占める存在になろうとする勢い。
が、そのサンデーがここまでの売り上げ減!
創刊50周年なのに大丈夫なのか。

まさかとは思うがヤングサンデーみたいに別雑誌と統合とか、あまつさえ廃刊とかになったら私は泣くよ。三大少年誌で一番好きなのがサンデーだからなあ。雑誌は作品を集めたものであって、雑誌それ自体に価値は無いというドライな見方をすることもできるかもしれないが、雑誌の有するそれぞれのカラーには他に代えられないものがあって、雑誌という『作品の集合体』が無くなるというのがどうも雑誌のファンとしては悲しいものがある。

他にこの問題について言及したブログを探すと、二次元と香辛料というブログの一つの記事がサンデー売り上げ低下について言及していた。

上記の記事は、今のサンデーについて次のようにコメントしている。
『私としては、熱くなれる漫画が少ない……と感じます。』
なるほど。ネット上ではしばしば指摘されることだし、実際、多くの読者もそう感じているに違いない。

このような問題については、実際に人とあって詳しく話しを聞いてみたいところだ。
そこで、文学会の会合が今日あったことにかこつけて、他の人から意見を集めてみたよ。

一人目:文学会の先輩(27)男。

この人は13歳から27歳の今までずっとサンデーを読んできて、しかもナカノブ文学会所蔵の1983年以降のサンデーも通読したというコアなサンデーファンだ。ちなみに今、他に読んでいる雑誌は文芸春秋、文芸、群像、など。中学・高校はジャンプ、サンデーの両方を読んでいたらしい。彼に意見を伺ってみた。以下、その要約。

「最近のサンデーについてか…
そうだなあ、昔からのファンを捕らえているか否か、といわれたらどうだろうね。地下鉄なんかに乗っていると水曜日にはけっこう年の行ったサラリーマンが少年サンデー読んでいるのを見たりするけど、ああいう人たちってもしかしたらあだち充とかを読むために読んでるんじゃないかな、やっぱり。あだち充とか高橋留美子とか、作風が昔とほとんど変わってないから昔からのファンはずーっと読み続けたりするんじゃないか、とおもうんだけど。」

そして、今はあだち充も高橋留美子も書いてないから往年のファンはやっぱりさびしいんじゃないか、との意見だった。
私も特にあだち充については同感ですね。あだち充のほうはまた連載再開があるからいいですけれど。高橋留美子のほうは新連載が気になる。


二人目:文学会の同期(21歳)、男。

生まれて初めて読んだ漫画が『極楽大作戦』だったらしい。小学生のころだったそうだ。でもサンデーをすぐに読んだりはせず、中学のときは友達からジャンプを見せてもらったりし、高校に入ってから自分でサンデーを買うようになっていたらしい。あと高校のときにスピリッツを一時期買っていたらしい。その理由は『ヤンサンよりも大人向けっぽくて、背伸びしたい年頃だった自分にはぴったりだったから』。それってどうなんだろう、一般的な理由としては…ともあれ、その意見はだいたい次のごとし。

「サンデーの凋落?昔からそんなにみんなが読んでる雑誌って感じはしなかったけどなあ。高校でみんな読んでたのはマガジンだったよ。で、サンデーを買ってくる奴はマイノリティだったかな。結局まわし読みしてたけど。マガジンでは俺は『スクラン』とか読んでた。『ねぎま』?読んでなかったなー。

今のサンデーへの不満か…ギャグに欠けることかなあ。文学会の蔵書でサンデーコミックスとか読んだら、80年代後半ってけっこうギャグが多かったよな。90年代もそうか。安永航一郎とか、久米田康治とかは今でも記憶に新しいギャグ漫画だけど、さっき言った『極楽大作戦』もコメディ色が強かっただろ。でも、今のサンデーってあんまりコメディないだろ…バカ笑いできるようなのがほしいということはあるかなあ。『かってに改蔵』の10巻前後とかすごく面白かっただろ!今マガジンでやってる『絶望先生』は社会批評色が強くて、あるあるネタっぽくなってるだろ。初期の改蔵のほうはどっちかというと「ねーよ!」って言いたくなるような面白さだったのが多かった気がする。吉村さくぢが模型電車のすきまにナス置いたり。今の『絶望先生』はそれはそれで面白いんだけど面白さの質がちがうかなあ、とか思う」

なんか後半久米田康治話になってしまったが、たしかにギャグ漫画ないよね。ちなみに彼が好きなギャグ漫画は『ゲノム』だそうで…ぜんぜんサンデー関係ないな。

三人目:文学会の後輩(20歳)、女。

大阪出身。彼女は非常に厳格な家に育ったので…というわけでもないだろうが、少年漫画雑誌は、大学に入って一人暮らしするまで買ったことがなかったらしい。『小学○年生』に加えて少女マンガは『りぼん』を小学生時代読み、中学生、高校生の時代は花と夢コミックスの単行本とかを買ったりはしていたらしい。あと、兄さんがわりとオタクだったのであだち充とかは読んでいたらしい。それ以外は非常に正統派の文学少女で(高校時代は文芸部が無いので演劇部に所属していた)太宰治やら夏目漱石やら坂口安吾やらデュマやらを読んでいたらしい。

そんなおり、兄の本棚から『ハヤテのごとく!』を見つけて高校1年生のときに単行本で読み、ネコミミハヤテに衝撃を受け、畑健二郎の師匠ということで『かってに改蔵』を単行本で読み、それ以降はどんんどんオタク方面に堕落していった。むしろ向上していったのか?その辺はおのおのの価値観によるだろう。大学に入ってからBL小説とかを自由に購入できるようになってどんどん脳が腐っている。好きなBL作家は『九州男児』らしいよ。さて、そんな彼女の意見は次のごとし。

「今のサンデーの不満ですか。特にありませんねえ」
彼女はあまり他人を批判しない…

「でも何かいうとすれば、なんか特徴のない漫画がある気ぃがしますね。最近の新連載の。バトル物の。でも『トラウマイスタ』は絵が好きです。『アラタ』も好きですね。でもそれ以外は…名前すら思い出せないようなのが…」

「でも『お茶にごす』とか『神のみぞ知る』とか面白いですよね。『最上の命医』も好きです。あとハヤテも。『絶チル』も。あれはアニメもいいですよね。漫画は特に中学生編からのほうが好きかも」
彼女の発言は接続詞として『でも』がやたら出てくるな。彼女は特に今のサンデーについて不満はないようだった。元々不満の少ない人間なのだろうけど。ただ、新人の漫画に個性が無いバトル漫画が多いのには不満があるようだ。


四人目:私

私も実はあまりとくに今のサンデーについて不満がない。
売り上げの低下は、内容の低下というよりも、雑誌というメディアがもう売れなくなってきているのかもしれない、と思っている。少子化だから少年誌はよりいっそう厳しいだろう。

他に、私が特に興味を引かれたのが…雑誌協会のデータで月刊総合誌の資料を見てほしい。

中央公論が41300部。論座なんて17367部。ちょっとした同人誌だったらこれを上回ってるかもしれないぞ。特に私がショックだったのは中央公論。中央公論はページは薄いし高いけど、内容は結構面白い。私の好きな町田康の小説も載ってるよ。ときたまあるルポとかは非常に示唆的だったりする。

ここに載っていない雑誌…例えば岩波書店の『世界』とか、どれほど売れていることなのか。
電車の中ではみんな携帯電話を使っているばかりだし。

みんな、雑誌読もうよ。



おまけ:最近廃刊が決定したのが驚きだった雑誌たち:

①『ヤングサンデー』
もちろんびっくりした。

②朝日新聞出版の『論座』
面白かったのにな。ネット時代にはもはや論壇誌なんて不要なのか?革新派というのが受けないという理由のほうが大きいのか。
保守派の『正論』なんかも7万部行ってないから厳しいだろうな。『諸君!』は編集者二人だけで作ってるって文学会の先輩から聞いたんだけど本当なんだろうか?

③『読売ウィークリー』
大新聞社がバックについてる週刊誌でもダメなのか…町田康のへんなエッセイみたいなのがのってて好きだった。でも良く考えたら他の部分はあんまり読んでなかったかも、高校受験情報とかマンション情報とかばっかり載ってたし…

漫画家はどのような状況でどのような状態になるものなのか

畑健二郎のBSから見えてくる現象を漫画家一般に拡張しようとする試み。
比較対象は、とりあえずサンデーBSの作家と…まんが家漫画の名作『まんが道』にしてみようか。あと『燃えよペン』。

調べたことは、漫画家はどのような状況でどのような状態になるものなのか?

今回は特に連載開始期に着目してみたよ。

…健康状態について

分析:畑健二郎のケース
BS第8回など、ずいぶん体を悪くしているように思えるが…
他のまんが家のBSを読んでも、そのような記述は読み取れる場合が少ない。
体を悪くしてもBSには書かないのが普通なのか、それとも体を悪くしなかったのか。

分析:『まんが道』のケース
仕事が忙しくなってくると、健康を害しつつ漫画を描くというシーンがしばしばある。

…アシスタントについて

分析:畑健二郎のケース
BS第3回でアシスタントの募集をしている。

分析:クリスタルな洋介のケース
BS第8回の文章中にアシスタントがすでに存在することが示唆されている。

アシスタントに関しては、畑健二郎の
『さすがにアシスタントを近所の友達に頼るという仕事スタイルが
そろそろ限界に来ましてですね』というのが変わったケースだったのか。

分析:『まんが道』のケース
アシスタントを雇っていた様子がない。注文された原稿を落とすシーンもあったが、そんな状況になってもアシスタントを雇う、という発想がそもそも出てこないようだった。手塚治虫のアシスタント(みたいなこと)をするシーンはある。だが、アシスタントのような存在はこの時代(昭和30年代といってよいだろうか)にはほとんどなかったのかもしれない。

…ファンレターについて

分析:畑健二郎のケース
BS第5回
『えーと、ファンレター色々ありがとうございます。
こんなに人から誉められたのは初めてなので
夜中にちょっぴり泣きました。
WEBから送って頂いたメールも全部読ませて
頂いております。
本当にありがとうございます。
とりあえず頑張って返事を……!!』
よかったですね。

分析:クリスタルな洋介のケース
BS第3回
『えー、たくさんの応援、はげましメールに
ファンレターなどを送っていただき、
本当にありがとうございます!

大っ切に保存しています!
ファンレターのお返しは細々とやっていこうと
思っているので、気長に待っていただけると
ありがたいです。
いやあ。本当にうれしいです。
これからも頑張るので、見てやってくださいね!』

分析:中山敦支のケース
この人はBSの第1回に
『ファンレターください!
アンケートハガキも宜しくお願いします!』と書いていた。
BS第9回に、印象的だったファンレターについて書いた部分が。面白いのでぜひ読んでほしい。

分析:『まんが道』のケース
初めてファンレターをもらったシーンというのが出てきていたが、そのときファンレターの原本らしきものも描かれていた。原本を保存しておいたのだろうか。藤子不二雄のような偉大なまんが家でもファンレターを初めてもらった瞬間があったのだなあ。あたりまえだけど。しかし、そのファンレターを漫画に登場させられるということは、ずっと大切に保存しておいたということだ。何十年も。そう考えるとすごいよね。それほどファンレターというのは重みのあるものなんだなあ。

…単行本が出たとき

分析:畑健二郎のケース
BSの第20回で、単行本が出たときの喜びを語っているよ。
秋葉原駅前の某店、ってゲーマーズのことか?とにかく、その店まで見に行くほどだったのだ。その後も毎回、単行本の発売日には店に見に行ったりしていたらしいが…さすがにメンが割れた今ではそれはないのかもしれないな。

分析:クリスタルな洋介のケース
BSの第13回で、単行本が出てしかも発売数日で重版になった、と喜びを語っているよ。
『オニデレ1巻購入(予定の方も)本当にありがとうございました!
頑張れます。』とのこと。

分析:『まんが道』のケース
喜びようはかなり大きいものだったようだ、そりゃそうだけど。
原稿料が入ってきたことにもかなり重点を置いて書かれていたのはやはり当時の生活が苦しかったためか。

…作品がアニメ化が決まったとき

分析:畑健二郎のケース
アニメ化が決まったことを公式に発表したときのBSは第113回のもの。ネット上にはもう少し早くその情報が外に出てきていた。喜んでいたことはいうまでもない。

分析:『燃えよペン』のケース
島本和彦の去年の同人誌『きょうの島本さん』(だったと思う…現物がどこにあるのか不明なのだ)に『燃えよペン』のエピソードはあだち充に会った女の子が泣いたというエピソード以外はフィクションだ、と(つまりあだち充に会った女の子が泣いたのは事実らしいが)書いているので資料的にはどうなのかと思うが、『燃えよペン』で「嵐の転校生」がアニメ化された時のエピソードはなかなか面白かったなあ。あ、分析になってない…



なんか思いもかけずかなり長い文章になってしまいそうな気がするので以下、来週に続く。
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